2010年1月31日日曜日

『少子化時代の修学旅行を考える』

 
※この原稿は1995年に書いています。

日本における「高齢化」と「少子化」は今急速に進んでいる。『日本の将来推計人口』(厚生省)の中位推計よれば、2011年に日本の総人口は1億3044万人でピ-クを迎え、65歳以上の人口の割合は21.4%となり、その後減少に転じる。高齢者の人口が多いというより、子どもが少ないということも考えられるが…
学校現場に目を向けてみると、1992年の122万人いた18歳人口をピ-クに減少し始め、1995年には110万人強まで落ち込み、2000年には97万人になると予想されている。受験生が増え続けた七年間が「ゴ-ルデンセブン」と言われたのもの遠い過去となった。
 1994年の出生数は前年より5万人以上の増加となり、少子化に歯止めがかかる期待がもたれていたが、「1995年人口動態統計の年間推計」によれば1995年の年間出生数は、前年より4万5千人以上減少し、119万3千人で2年振りに120万人を割り、再度減少に転じたという。
 修学旅行においても少なからずこの「少子化」の影響による修学旅行生の減少が起きているの周知の通り。以前から分っていたことではあるが、社会環境が変化することにより、修学旅行の実施内容も変わってきたように感じる。その特徴を体験的にみていきたい。


一.「団体の中の個人から個人を含んだ団体へ」

 核家族の増加にともない子どもたちの中には、集団生活の不適応者生徒が増えているという。兄弟姉妹や友達も少なくなり、人間関係の調整力が欠如する子ども増えているというのだ。この意味では修学旅行は「旅行という宿泊的行事を通して、集団活動や生活、良好な人間関係の譲成への訓練をする絶好の機会であり体験の場ある」といえる。
 今回の文部省『学習指導要領』の改訂で「旅行的行事」が「旅行・集団的宿泊行事」ノ位置付けられたのもうなずける。従来の修学旅行では観光地への見学は学年全体でクラスごとの見学が多かった。最近ではグル-プ単位での行動が増えている。これはクラスの構成人員が少なくなったこともあるが、小人数の方が同じ団体の中で役割分担し行動するより、生徒へ責任感を持たせ、社会性、協調性を育みやすいという点も見逃せない。また学習という点からも団体で取り組むよりグル-プ単位の方が指導もいき届きやすいし効果的であろう。グル-プの中で自分のポジションを確認し、他人と異なることを認識、その中で相互の意思疎通を介して社会性、協調性を学んでいくのある。現状では「団体からグル-プ」へという段階であるが将来的には「団体から個人へ」移行するだろう。
 修学旅行も最終的にはグル-プ単位から「個人」というものを重視した修学旅行へ移行するだろう。まずは、修学旅行の実施時期は同じで、クラス単位での行き先や目的は個別という実施形態で今後は増えるだろう。実際にクラス単位で修学旅行を実施している学校も実存する。もはや昔の修学旅行のイメ-ジはそこにはない。
 さらに進んで、修学旅行のテ-マとしてもクラス、グル-プでの設定ではなく、個人が課題を設定して、それを団体活動である修学旅行の中で自分なりに解決していくという形態の修学旅行が行われるかもしれない。まさに個人型団体活動としての修学旅行であるといえないだろいうか。


二.「和から洋へ」

 我々の生活様式が和風のものから洋式のものに変化するにつれて、修学旅行でも衣食住の面で当然変化が現れた。
 当時は一枚の布団で二名が寝るということはあったが、さすがに今はこんなことはないだろう。ここでも団体からグル-プ、グル-プから個人という流れが見受けられるのではないか。修学旅行で宿泊する施設については、ほんの十数年前まではほとんどの場合は旅館であった。これは畳のある部屋を持つ宿泊施設という意味での旅館である。最近ではベッドを備えた部屋を持つホテルが増えてきた。われわれの生活が布団からベッドに移行してきたことも要因であるが、五~六人で一部屋という部屋割りが、今やホテルでのツインル-ム、またはトリプルでの使用という形態が目立ってきた。食事も朝食・夕食に関わらず、洋食メニュ-が好まれるようになった。朝の味噌汁やご飯は、ミルクやパンになり、布団はベッドに、トイレも和式から洋式になった。修学旅行では洋式でしかトイレにいけない生徒も現れた。旅館の雰囲気、和食のメニュ-は次第に減少しつつあるのだろうか。今後修学旅行の実施については洋式、洋風がキ-ワ-ドかもしれない。最近宿泊施設で人気があるのは、実際の宿泊は別にしても「民宿よりペンション」「旅館よりホテル」これが現状だろう。伝統的な木の雰囲気の旅館よりおしゃれなペンション、近代的な鉄骨のホテルの方が人気があるし、現代生活にマッチしているのかもしれない。また生徒の減少、活動単位の縮小化にともない、ホテル形式、小人数での宿泊形態のほうが生徒にとって利用しやすいのも事実だろう。


三.「見聞から体験へ」

 修学旅行が学年単位、クラス単位で行われている時は、見学は団体で見聞できることが前提だった。下手に個人行動されると先生の目がとどかず管理困難だからだ。しかし今や修学旅行の目的のなかでは、班別自主研修、体験学習は切り離せない重要なキ-ポイントになっている。最近の生徒の日常の生活、行動様式、意識を考えてみると、都市部における自然体験や社会体験、労働体験などは極めて乏しい。メディアをはじめとする映像、文字情報を通しての目や耳から得られる情報がほとんどである。五感を通して感じる体験が極度に不足している。その意味では修学旅行という非日常的な場で、普段と異なる自然や文化、産業に直接触れ、実体験できる機会は重要といえる。見聞から体験へ、見ることから触れることへ」。よくいわれることに耳から聞いたことは右から左へ素通りすることが多く、見たことは記憶に残り、体験は確実に自分の中に残るのだ。体験というものは、将来社会で生きていく上で、物ごとに対する見方や、考え方、とらえ方を養う訓練となる。とりわけ子どもの頃の体験は、より具体的な体験活動を通して、知識や思考、判断力、行動力などを育むのに役立つからだ。

〔修学旅行における主な体験学習の一例〕

・創作体験…地域の伝統工芸、民芸品を中心に、半分くらい仕上がった最後の工程を生徒に創作させるもので、焼き物や絵付け、凧づくり、紙すきなど。
・農作業体験…じゃがいも掘り、田植え、稲刈り、りんご狩り、みかん狩り、さくらんぼ狩りなど農作業の一部を体験するもの。
・伝統芸能体験…地域に伝わる伝統芸能の鑑賞。一部では実際に生徒が習得することも可能なものまである。昔から伝承されてきた踊りや唄などである。
・スポ-ツ体験…スキ-修学旅行など生涯学習の一環として高校を中心に人気がある。最近ではマリンスポ-ツも出現した。

 問題点は、修学旅行という時間的に制限のある中、終始一貫すべての活動過程を体験できないことであろう。創作体験なり農作業にみられるように、半製品を完成させるとか、作業の一過程を手伝わせるということが、その歴史や社会背景、地域特性、物ごとの本質を理解し、その上で体験しているのかどうかが疑問である。
 しかし、団体行動ともに体験を中心とした修学旅行内容は、時代に対応しつつ実施形態は変化するものの、今後も確実に増加してくことが予想される。



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四.「少子化」による修学旅行への将来的展望

 一般的には年々出生数は減少傾向にあり、子ども人口全体が縮小に向かいつつある。バブルの頃は「一点豪華主義」などと言われたが、そんな時代も過ぎ去り、いまや不況のもと消費市場全体が低迷にある状況だ。
 社会一般的な傾向では、人口減少より新製品の開発力のほうが期待できるため、子どもの消費市場は拡大するとみられている。現に子どもが大人の真似をしたりする背伸び執行や、ワ-プロ、電子手帳やポケベルなど大人と同様の電子機器を持ったりして、購買層はますますの低年齢化が進んでいる。
 ここでは考えられうる少子化にともなう修学旅行への将来的な影響を予想も含めて大胆に考えてみた。
 まず一人当たりの修学旅行単価の上昇が考えられる。
 当然のことだがバス一台当たりの頭割りにしても分母が小さくなれば、出てくる数値は大きくなるし、宿泊にしてもツインやトリプルベ-スの部屋使用ではどうしても料金は割高になる。とくに行動の主体が団体から個人へとシフトするにつれて、次第に団体割引きやスケ-ルメリットが活かせなくなりつつあるのが現状だろう。交通費宿泊費などの頭割り項目は仕方ないにしても、問題は単に旅行料金が上がることではない。宿泊、食事個所では、実際のところ修学旅行は料金的に安価なため、ある程度の不便さやお粗末さは黙認されてきた傾向がある。つまり安いのだから文句言うな式の対応だ。しかし今後は一般の旅行と同様に修学旅行の本質に関わる体験学習の内容等へ、料金に見合う質自体の向上も当然望まれるだろう。安かろう悪かろうは修学旅行では通用ようしにくくなっている。現実に一般旅行者のほうが宿泊料金が安いという逆転現象もでてきている。
 次に修学旅行の実施形態がよりグル-プ化、より個人単位で実施されていく。一部の学校でその兆候はすでにみられはじめている。費用の高額化にともない、修学旅行代金を低く抑えるために現地集合、現地解散の学校修学旅行が今後出現するかもしれない。
 最後に学校一学年当たりの生徒数が減ったことに対して、学校間での「募集型の修学旅行の実施」が起こるかもしれない。共同実施、連合の実施形態はへき地の小さな学校などで実際にある。グル-プ化、より個人化は確実に進むものの、団体行動を通して実施する生活指導、とくに集団生活や公衆道徳の習得には修学旅行が有効なことをとらえれば、次のような実施形態も考えられる。

 ・学年同時実施…学校内で一学年の生徒数が少ない場合に、二年に一度位の実施で学年をまたがって実施
 ・連合形態での同時実施…いくつかの学校が同時期に実施。団体としての実施を前提として。
 ・選択幅のある目的別実施…学校内で修学旅行のコ-スをいくつか設定して生徒に申し込み選択させる。クラス個人単位を超えた実施形態として考えられる。実際に行っている学校もあるという。またさらに発展させて地域の数校で募集するというのも考えられるかもしれない。

『修学旅行と観光』 3


三.「修学旅行は地域の人材を育成・活用する」

 修学旅行を地域で受け入れるためには斡旋組織が必要である。学校単位で数百名の修学旅行生徒を効率よく斡旋するために受入れ組織のスタッフの熟練さがものをいう。斡旋組織は企業であったり、一つの旅館やホテル、地元の温泉組合、民宿協会、旅館ホテル組合、観光協会であったりと形態はさまざまである。ただ地元の人材の活用なしでは修学旅行での対応は困難である。単に宿泊するだけでも旅館ホテル従業員が必要だし、土産物や、体験学習の実施、地元の方々との交流を含めても多くの方が関わっている。体験型の修学旅行については創作教室、農業や漁業体験の実施に際しても地元の方々の協力は大きい。また、受入れに際して、組織を立ち上げる段階で人材を育成していくことが考えられる。例えば鹿児島の修学旅行シルバ-ガイドや京都のスカイセンタ-観光ガイドなど、組織で人材を育成・活用しているケ-スもある。特に経験豊富な地元の方々の活用は修学旅行の活動内容をスム-ズに進めるのに役立つ。この過程で人材が育っていくことで、さらに強力な受入れ組織が確立されていくだろう。また参加しているシルバ-層のメンバ-のモチベ-ションをあげ、やりがいを感じさせて地元の活性化を促進していくという点では、このシルバ-層の活用は一石二鳥の活用策といえる。このシルバ-層の活用は、将来的には高齢化社会の到来に向け、自治体がより積極的に取り組むべきテ-マであろう。 

2010年1月30日土曜日

商品流通のジレンマ 着地型旅行が流通しない理由 まとめ


■商品流通のジレンマ
以上はとりあえずどこでもありがちなる地域と地元旅行代理店での悩み。
重要なのは、造成した商品をいかに流通させるか。販売拠点、告知手段手法、申し込み手法が重要。たいていの場合、制作チラシ完成で力尽きて、流通させることができない。予算不足がいいわけ常套句となって、大量の印刷物だけが残り、時とともに商品も現地体制も世の中から姿を消すのが通常のパターン。
・まずは知ってもらうことをどうするのか?
 地元で印刷した立派な観光パンフレットはどこで撒いているの?誰も見たことの無いチラシは誰に渡ったの?
 着地型商品の告知は発地で、申し込みは現地での流通を前提とすれば、発地で旅の内容を情報発信するにしても、現地行けばこんな着地型プランがある、申し込めるということを知らせるだけでいい。東京で地元のパンフレットなど、積極的にばら撒く必要はない、そんなの無理に手渡しても駅のゴミ箱を直行するだけ。どこに行けば現地情報が入手できるのかを知らせるだけでいい。
それでは告知はどうするのか?旅行情報誌(るるぶ、まっぷる、旅の手帖、じゃらん等)への広告、タイアップでいい。5万部のパンフレットの制作より、10万の読者の目にふれる媒体へ掲載して告知するほうが効果的。
伝えるべき内容は現地にいけば、着地型商品があるということ、現地に行ってから申し込めることが読者に分かればいい。そして首都圏でパンフレットの設置場所が分かればいい。テレビラジオへのイベント情報でもいいが、着地型旅行につながるかは不明。しかし継続して情報発信を行うことは言うまでもない。マイナーな地域の場合掲載できる媒体が極めて少ない、地域により皆無なのが難点。

・着地型商品の受付
現地では、着地型企画プランの案内をする。申し込みとその手段を考える。結論的にはそのとき一番申し込みしやすい手段は、携帯電話。携帯サイトからの申し込み、電話申し込みがベスト。その次が地元旅行代理店、ホテル、ターミナル、レストランなどの現地の食事個所や観光施設、あれば地元コンビニ。現地で申し込みをいかにしてもらえるかの告知手法を優先に考える。しかし最終的には携帯電話からの申し込みになると思うが。
<申し込み場所、パンフレット設置場所>
いつでもどこでも申し込みに対して…携帯電話
スポット、半日、一日、まとめて数日の申し込み…地元旅行代理店、ホテル、ターミナル案内所
スポット、半日単位のものをその場で申し込み…レストランなどの食事個所、観光施設、あれば地元コンビニ。

着地型旅行商品は、最初は流通に視点をおいた情報発信を!その内容は現地行けば情報が手に入ることを告知することに尽きる。

2010年1月29日金曜日

■旅行代理店サイドの憂鬱


■旅行代理店サイドの憂鬱
・「事業として継続できる旅行商品にならない」
着地型旅行というものの、この形態は今に始まったものではなく、大手の旅行代理店なら修学旅行の営業現場などで、数十年前から行われているもの。体験学習、社会見学、農業体験、収穫体験、遠足などで実施されていたし、言葉の言い回しが、今風?になっただけで世間が騒ぐほどには、大手の旅行代理店は冷めた状態である。商品造成は大手にとっては教育旅行営業ですでに行っていることなので、今後も商品造成に関しては容易いだろう。ただ、大手旅行代理店の取り組みでは、修学旅行という大量の参加人数が前提がゆえに、この着地型旅行が存在したわけで、それを単発にして、個人ベースに商品ロットを小さくしたのでは、単価が低い上に、時期も、参加人数もムラがあり、しかも直前の発生ベースでは、効率が悪く取り組めないのは当然となる。着地型旅行商品は基本、日帰りなり、半日パターン。もっと短いスポットの単品販売となるため、旅行会社では大手中小に限らず事業としての継続させるのは難しい。メインのメニューにはなりえず、あくまで添メインデュッシュあっての添え物だから、その域をでるのが難しい。
このあたりが大手の旅行代理店が、ピンで着地型旅行商品設定ができない理由となる。商品造成できるが、販売する気になれない代理店のジレンマといったところ。
・「事業が継続できる旅行商品内容」
着地型旅行商品に価格の安さを期待するのは無理。もともと多人数を受け入れる商品で無い限り、低価格は期待できない。それより、商品内容を説明してなぜこの商品が割高になるのかに視点を置いたプレゼン、説明が必要で、その点を訴求した案内を。
・「ホールセラー的な役割を果たす地元旅行代理店の存在」
観光地として未成熟な地域の場合、地域で共同販売、共同運営するためには、核となる旅行代理店の存在や地域での流通に仕組みが必要。企業より地域商品を優先した取り組み。みんな仕入れて、みんなで売る。観光地としての認知度が不足している地域の場合、旅行のOEM化が着地型旅行の成功につながるのかもしれない。
 例)先と同様に「○○の日帰り体験」の商品をA社のみが販売するのではなく、B社C社でも販売できるような共販商品にする。そのためにホールセラー的な地元旅行代理店は必要。(=第三種旅行業でも可、幹事旅行社でも可)

・ 「地元旅行代理店が創造したツアーには、販売管理(流通)を見据えた料金設定」
造成側(地元)にも当然の話ですが、販売手数料を想定した価格設定は必要。自らの営業力と流通力ではすべての販売はできない。人を使って販売してもらい、世の中にだす。そのため代理販売、卸販売の概念をもって商品造成することが必要。販売委託の概念(第三者の販売行為に手数料を払うという前提での商品造成)がなければ商品は流通しない。有名な観光地や口コミで話が広がれば別だが…

着地型旅行商品は、流通を見越した商品造成を!

『修学旅行と観光』 2


※数値は1995年当時。
二.「修学旅行は国内旅行を促進する」   修学旅行は長い期間で捉えるなら、国内旅行の促進に役立っている。あまり目立たなっかった地域をメジャ−にする。古くは萩や津和野がポピュラ−になったように、最近のビビッドな例では富山県の五箇山や北海道のポテト共和国などあげられる。この富山県の五箇山は1995年12月に白川郷とともに合掌造り民家が世界遺産に登録された。これなど十数年前から修学旅行では農山村の体験学習の場として多くの学校が訪れている業界ではお馴染みの地域である。それがここ最近ふるさとや農山村の自然に憧れる都市部の観光客に人気がでてきた。グリ−ンツ−リズムという言い方でいま農山村が注目を集めている。先の例のように、修学旅行で生徒が訪れた土地は数年後人気の観光地になる可能性が高いといわれることが多い。確かに取り立てて騒ぐことのないような地域が何故だか注目を浴びることがある。それは、修学旅行で訪問したことがある地域に、偶然リピ−タ−として観光旅行で訪れただけかもしれないが、そうであったとしても地元では一度で二度おいしい修学旅行と言えないだろうか。ただ同じ土地に二回目に訪れても修学旅行とは違った視点で見ることにより、新たな感動が蘇ったり、懐かしく思うこと、感動を覚えることも多々あるだろう。こうして二度訪れる観光客が増加していけば、広義な意味で国内旅行の促進に、交流人口の増加につながるものになることが期待できる。修学旅行は将来的な国内旅行の促進の起爆剤であるといえる。   

『修学旅行と観光』 1


ここからしばらく修学旅行、教育旅行と観光について述べてみたい。内容はちょっと古い1995年ころ書きためためたもので、結構その後webに掲載したら、全国の教育旅行コンサルタントらしき輩からパクられた情報です。この秋にはいったん印刷物にして公表したいと思っています。

修学旅行の実施は従来から参加する生徒自身のみならず、受けれ入れる地域や広義な意味で国内旅行の振興に多くの場面で貢献してきた。修学旅行の実施は今や「人を育て、地域を活性化し、交流の機会増大に寄与するもの」といえる。修学旅行が果たしてきた効果について独断的に考えてみた。

一.「修学旅行は地域活性化の源」

 修学旅行では多くの生徒が全国各地に移動する。そこから生まれる観光や宿泊、移動にから発生する経済効果は地域の経済を活性化し、そこに住む人々の生活に関わってきた。修学旅行は地域の活性化に役立ってきたのだ。修学旅行で生徒が地域で消費する内容は、宿泊、食事、交通、土産、入場など多岐にわたり、また関連する消費需要も多い。考えてみれば衣食住に関係するほとんどのことが、他の地域からきた人により地元に還元されているわけである。その意味では一般の旅行者にもいえるが、景気に左右されず定期的に消費される需要である点は見逃せない。しかも修学旅行では一般旅行者がたくさん訪れる観光地や名所、時期は敬遠しがちな性格からしても閑散期の受入れはありがたいものである 財団法人修学旅行協会資料によると、1994年修学旅行人口は497万人、総旅行費用は2748億円である(小学校も含んでいる)。これを高校中学校別にみてみると、高校での修学旅行人口は159万人、総旅行費用は1436億円である。中学校での修学旅行人口は177万人、総旅行費用は939億円である。このうち宿泊費と入場拝観料は行き先の地域で消費されると大まかに試算すれば、高校で地元におちるお金は686.4億円、中学校で370.9億円とこのくらいになる。総額約1057億円である。これにその他費用が含まれば、これ以上の消費が実存するわけである。まさに修学旅行は定期的に地域にお金を落していただけるありがたい団体なのである。閑散期の一般旅行者は鬼に見えるが、閑散期の修学旅行はみんな福沢諭吉の顔に見えるというのもあながち嘘ではないだろう。

2010年1月26日火曜日

スキー修学旅行と地域活性化


このシーズンになるとスキー修学旅行を思い出す。

今から12年前くらい、長野オリンピックくらいがピークだったかと思う。京都駅南側には金曜日の夕方となれば連夜スキーバスが何十台も並び、信州大移動となったもんだった。

幸か不幸かそれからスキー人口は減少傾向となる。ちまたでは、スキー人口の減少の理由が生徒減、温暖化で雪がない?などいわれたが、スキー修学旅行事態が、他の形態、方面に変わったことだろう。では何故スキー修学旅行が減少したか?

先の理由、生徒減、雪不足は建前。実は1998年に長野オリンピックがきっかけとなったのではないか。その年は長野オリンピックが開催されるというので毎年スキー修学旅行を実施していた高校や中学は修学旅行の変更を余儀なくされた。しかもこのあたりから、修学旅行に航空機利用も認められはじめて、選択肢が増え、特にスキーにこだわる必要も無くなった。当地長野では、気軽に学校行事に対して『オリンピックの年だけ、どこかよそに修学旅行に行ってくれればい』なんて間抜けな考えであったため、1999年からスキーがまた平常に戻ると考えた節がある。しかも『スキー修学旅行が無くなっても、社会人スキー人口があるから大丈夫だ、関西から来なくても首都圏から来るから?』なんて強きな発言(のんきな発言)も多かった。しかし何故社会人スキー人口が増えたのか?社会人になってからスキーなどする人は少ないだろう。そりゃそうです、初心者が女の子と一緒にスキー行って、滑れなければ格好悪いもん。でもその社会人スキー人口こそ、かってのスキー修学旅行の高校生中学生だと気がつくのに時間が経ちすぎた。『社会人スキーが増えたからスキー修学旅行は要らない』と豪語は致命的な結果となった。その後スキー場はスノーボードやらファミリー向けにアレンジして、あのてこのてで縮小継続したが、堅実はひをみるよりあきらか?

もうゲレンデに高校生中学生のスキー修学旅行の姿も見ることは無くなるかもしれない。修学旅行は地域振興、地域活性化を促進することを逆に証明した事例だ。

行きたい海外国内イベント

フォートラベルのアンケートによれば、行きたい海外国内イベントは、海外では上海万博、バンクーバー冬季オリンピック、南アフリカW杯。国内では平城京1300年記念、龍馬伝の舞台、姫路城改修前、などが上がった。単発のイベントとしては、知名度の高いものだが、三位の姫路城改修等は比較的マイナーな部類だが、ぜひ姫路市には頑張って欲しいもんだ。メジャーな観光資源も限定されてることから、今年は集中的に観光施策を講じたいところです。

2010年1月25日月曜日

着地型の旅行のプロデューサー育成講座

京都府の国民文化祭準備室とティーゲートで京都府下に対して一月からスタートした。丹後、中丹、南丹、山城、京都市内の5ヶ所で本日より開催。

地域の着地型の旅行プロデューサー育成が目的だが、観光ではなく、地域振興、産業振興関係者が中心となって参加。ほとんとが旅行商品の造成など経験したことがなく、今後はこのノウハウを活かせればかなり現実的なプラン造成への第一歩になるだろう。
着地型の旅行は企画造成する人間の感性がまず第一かと思う。自分がいいと思うのではなく、他人=旅行者がどう思うが、造成のツボだと思う。

2010年1月23日土曜日

森ガールと旅行


最近、「おやじギャル」「丸の内OL」と続いて久しぶりにでてきた言葉「森ガール」。「森ガールとは、2006年に使われたのが発祥で、「森にいるような格好をした女性」で、服は天然素材、ラインはゆったりめ、足元は手編みのソックスに“もこもこブーツ”が定番とされる。都合よくいえば、高原か湖畔沿いのペンションや別荘でリクライニングチェアに紅茶を飲みながら本を読む女性が髣髴するが、行動パターンはいたって普通。ちょっとロハス、エコロジーに関心あり、かつ意外と冗舌と、自然っぽく、自分らくしがモットー。こんな彼女たち旅は似合うのか?
エコツアー、自然真っ盛りの旅、自分探しの旅??うーんみんなイメージがわかない。いっそうのこと山ごもり、山荘ぐらし、大草原の小さな家、などのあまり旅行のシーンが思い浮かばない。
草食系は海外旅行に行かなくなったし、森ガールも遠出しなくなった、個人個人の社会的視野が狭くなった。新聞テレビもみないでは、困った大人が増産されていく。旅は人生観を豊かにし、異文化や外国人に触れることで、日本人としてのアイデンティティを再認識、その経験は必ずその人生に生きる。だから旅は人間性を豊かにするのだが。
ちょっと路線がそれたが、積極的な森ガールに続き、島ガールの出現を期待したい。

2010年1月21日木曜日

■地元商品造成サイドの勘違い②


見せたい地元素材は、そのまま出すのがいいのか、都会向けにカスタマイズしたほうがいいのか=結論はケースバイケースだが、やはりスポットとしてブームに便乗した取り組みも、ちょっと遊びココロあった方がよろしい。しかし、都市部では、京都にちょっと突飛なことを期待しているかもしれない。地元民からの目ではなく、他地域の人が地元どう見ているのかを常に意識する必要がある。

・「見せ方にも課題が、プレゼンテーション力の不足」
 技術的なことなので、訓練次第で耐えうるようになる、場数をふめば何とかなるはずだが…
 プレゼンしたい、伝えたい地元資源への思いが強すぎて、何がいいたいのか分からない。そんな内容はえてして都市部にウケない、しらけるだけ。また行政サイドのプレゼンは観光素材の案内に終始して、抑揚なく、ポイントや目玉が定まらない?地域の代表の口下手プレゼン。それを逆手にとって注目させるのも作戦ではあるが、みんながみんな「ジャパネットたかた」のようにできるわけではない。 

・ 「地元での共通商品造成、共同仕入、販売」
京都市を除く、地域の定番のコースについては、地域で同一商品を共同販売、共同営業する仕組みが必要。「○○の日帰り体験」の商品をA社のみが販売するのではなく、B社C社でも販売できるようにする。そのためにホールセラー的な役割を果たす地元旅行代理店社を育てる。(=第三種旅行業でも可、幹事旅行社でも可)。地域のまとまりが無い場合不可能、比較的小さな都市向き)

・「くだらん観光パンフレットに集客期待は禁物」
 メリハリなし、均一的、平均的、カタログのような金太郎飴パンフレット。しかもどこで配付するのか、どこに配付したのかが分からない、自己満足度100%のパンフレットなど、制作しても経費が無駄。(ただしマイナーな都市には最低限必要)
 すべてを平等にして地元の観光のポイントを掲載することなど不可能。特定スポットに加重した、メリハリのある観光パンフレット=定価をつけてでも売れるパンフレットを作ること。行政の作るパンフレットに期待しては駄目。制作物で疲れ果て、力尽きるより、流通に際しての予算加重を再検討したほうがいい。商品造成よりこちらに力点を置いたほうがいい。もちろん紙媒体に関わらず、WEBでの情報流通、販売も同じ。

・「情報提供の機会はこまめに」
地域から都市部への情報発信、提供は定期的に。突然降って沸いたような話題にはとりあげてもらえない。前振り、定期的なこまめなコネタだしが必要。美味しい話は向こうからやってはこない、だから自分でいきましょう。都市部のエージェント、媒体関係者との人脈づくり、情報交換が日ごろから必要。

・ 「地域資源の発掘より、気づきを優先」
地元の隠れた地域資源を新たに発掘、見つ出すことも重要だが、地元人が気づかない地域資源にスポットを当てたり、アレンジするほうがいい。

提案:着地型旅行商品は、感度をあげて都市部の視線で商品造成を

2010年1月19日火曜日

■地元商品造成サイドの勘違い①


■地元商品造成サイドの勘違い
 ・「地域の人材の感度不足?」
 地元の観光素材によさが分からず、本当に情報を欲している人にその地域素材を情報発信できない。
 灯台下暗しで、都市部からみて魅力ある地域資源が、なかなか陽の目をみない。都市部で何が流行しているのか?トレンドなのか?何を欲しているのか?地方の何が今注目されているのか?そんな視点で地域は都市部をみていない?感度不足。
都会の視点で地域をみて、地域の商品造成をすることが必要。地域の個性に固執して、訴求するだけでは、膨大な時間が必要となる。四半世紀ほどたてば状況も変わり人気がでることもあるだろうが…それまで待てない!何もせず変化を望むのは愚か。
 地域の人間が魅力だと思う訴求ポイント=見せたいポイントと、都市部の人間が見たい知りたい体験したいポイントは違う! 自分がどう思うのか?ではなく、都市部の人がどう思うのかを考えて商品造成をする。地域からもっと外に出て都市部のマーケティング、欲求を都会の視点でリサーチすることだ。
 ・「商品造成の心得」
 着地型旅行商品は単なる個人のお愉しみ旅行の手配ではない。ボランティアで都市部の旅行者の地方まわりをお手伝いしているわけではない。地元にお金が落ちるようにするにはどうすればいいか見越しての地域資源を発掘し(もちろんイベント大会の単発設定日でも人は一時的に集まるが)商品造成をする。
 自分ですべてを売り切る能力や組織が無いなら、企業(大手旅行代理店、旅行出版メディア)と提携することが必要。ただし第三者の販売活動はボランティアではない!=タダで他人の商品を売ってくれる馬鹿いない!手数料が必要。宣伝、広告にも費用は必要。
 ・「旅行プロデュース力」
旅行業の知識、商品造成にかかる知識、経験なども最低限必要。ただ、現地事情に精通しているだけでは、商品は作れない。○○寺の歴史や見どころを説明できることと、○○寺を使ってビジネス=お金儲けをすることは別次元の問題。知っているだけでは、ガイドブックで事足りる。それはタダの理屈。その素材を時代に即した、都市部からの旅行者の欲求に応えるべく、アレンジする能力、=知恵と工夫が不可欠。

大手旅行代理店の人事異動�


18日に2月1日人事異動が出された。

ちなみに、私の同期がこの異動で同期が三人、支店長になった。三人はみんな優秀かつ人格的にも優れている。周りが納得、応援したい人事異動、昇進だった。これなら周りが納得(^O^)

また逆に一人、部長からヒラになった。理由はセクハラ、パワハラ、金銭と犯罪近いから。懲戒にならんだけ幸せかもしれんが。(T_T)これは本人が納得する人事、降格。これも良し(^O^)

こんなんあたり前だと思うかもしれないが、そうかな?
ほとんどの会社、企業、自治体では、自分だけが納得する昇進、周りが納得しない降格がほとんどじゃ無い?


周りをみれば、何でこんなアホが偉くなったのだろう?何でこんな能力ある人が偉くならないんだろう?

こんな中で、見てる人は見てるという言葉を思い出しました(^_^)v

日航会社更正法適用


本日、申請される。今から25年前、海外旅行が人気になるちょっと前、1ドル230円くらいの時に、海外でJALの尾翼の鶴のマークが、海外でどれだけ日本人に安心感を与えたことか。今では外国エアラインでも差異は無いが、日本の航空会社が世界に航空網をもっているのはグローバル化に繋がり、日本経済にとってプラスになると思う。

破綻原因は、アホな自治体が搭乗予測数値を都合よくでっち上げ、ごり押し開港、日航に赤字路線を押し付けたことも要因。もっと重大なことは人間、社員体質、企業風土。この期におよんでごねるOBたち、被害者意識ムンムン現役労働組合の存在かもしれない。(`o´)