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2010年2月22日月曜日

島唄の意味すること

「島唄」/ THE BOOM 作詞:宮沢和史 (歌詞の意味)
ってご存知だろうか?
この曲の奥底は深い。そこらの馬鹿教授の沖縄論の域を超えている。
この曲の解説をしてみた。これが理解できれば、修学旅行の実施は意義あることになる、絶対!「


「島唄」/
でいごの花が咲き  (1945年4月1日 春が訪れ)

風を呼び 嵐が来た (沖縄本島北谷(ちゃたん)へ米軍が上陸した。風とはアメリカ軍、嵐とは米戦闘機、米戦艦を指している)

でいごが咲き乱れ  (4月から6月に真っ盛りとなる、 特に6月23日は沖縄にとって最重要)

風を呼び 嵐が来た (米軍の侵攻が続いた)

繰り返す 哀しみは (米軍の残酷な殺戮とともに、1500年代後半には島津藩により琉球王国が侵略され属国となり独立国ではなくなった経緯のこと=繰り返されている)

島わたる 波のよう (寄せては引く波の様に繰り返された侵略の歴史)

 

ウージの森で    (サトウキビ畑=沖縄本島で)

あなたと出会い   (出会った、あなた=兵士ではなく民間人まで巻き込んだ戦争であることを指している)

ウージの下で    (ガマ=鍾乳穴=防空壕の中で)

千代にさよなら    (殺されて永遠のお別れをした)

 

島唄よ 風にのり  (島唄よ 海の向こうの本土まで届けておくれという意味と、琉球にとって宗主国は日本ではなく、中国です、なぜなら首里城の守礼の門は本土東京ではなく、北京の方向を向いて建てられているから)

鳥と共に 海を渡れ (亡くなった人々の魂を、沖縄の悲しみを)

島唄よ 風にのり届けておくれ(島唄よ 海の向こうのニライカナイまで届けておくれ)

わたしぬ涙     (亡くなった人々の魂を、私の思いを)

 

でいごの花も散り  (1945年夏 たくさんの沖縄の人々の尊い命が散った)

さざ波がゆれるだけ (今はあの悪夢が嘘のように静かだ)

ささやかな幸せは  (ほんの短い幸せな日々の生活は=島津藩による琉球侵攻までの短かった栄光ある王国の歴史)

うたかたぬ波の花  (はかなく、またも消え去った)

 

ウージの森で    (サトウキビ畑で)

歌った友よ     (一緒に歌い遊んだ、あなた)

ウージの下で    (防空壕で自決する前に)

八千代に別れ    (泣きながら故郷を歌った)

 

島唄よ 風に乗り  (島唄よ 風に乗って)

鳥とともに 海を渡れ(魂と共に 海を越えて)

島唄よ 風に乗り  (あの人の居るニライカナイ)

届けておくれ    (私の愛を届けておくれ)

私の愛を

 

海よ  (人間は海から生まれて、宇宙=天に戻っていく。琉球人の心の源=ニライカナイへ)

宇宙よ

神よ

命よ

このまま永遠に夕凪を(琉球王国が全盛だった時代に戻りたいという想い。今この思いを世界に広げて欲しいという思いが含まれる。今、あなたを思い、永遠の平和を祈る)



※ニライカナイとは、遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界、遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界。豊穣や生命の源であり、年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。生者はニライカナイより来て、死者はニライカナイに去ると考えられている。琉球では死後7代して親族の守護神になるという概念が信仰されており、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは神が生まれる場所でもあった。 ニライカナイは来訪神のいる世界であるが、死者の世界でもあり、複合的な観念を持った楽土である。なお、琉球では他の他界概念として、権威を守護する神々の神界としてオボツカグラを想定していた。ニライカナイは本土の常世国の信仰にあたり、柳田國男は、日本神話の根の国とは同一のものとしている。 信仰上の他界概念を水平表象と垂直表象で論じた折口信夫は、ニライカナイを水平の、オボツカグラを垂直の他界と指摘している。この場合やはり中国の北京とみるのが現実的でしょうか?

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