結論から言うと、「情報網が発達したらか」
北前船は江戸時代、北海道と大阪を結んで、多くの物資、文化、情報などを運びました。
ただ運ぶと言っても右から左ではなく、各地で物資を仕入れて、他の場所で売るという「商社」的な商売をしていました。決して運搬業ではなかったのです。
・江差昆布、日高昆布は京の都に運ばれて「日本料理」に昆布出しの料理を生み出しました。
・青森で当時世界最大だった「銅」の鉱山は、長崎から世界に輸出され、世界経済に多大な影響を及ぼしました。
・文化の面では、内陸の祭りや行事、慣習が北前船を通じて北上、または西周りに伝えられました。ご存知なのは「ソーラン節」でしょう。
ありがたいことに、まだ日本本海側の各地に、その面影を残す廻船問屋、庄屋などが建物で残っていることです。
北前船が衰退したのは、情報の発達です。もともと北前船は情報をもって、日本を物資を買い付け売りつけをしていました。現在の投資家、商社そのものです。その意味では、商品の相場をもっとも熟知していたのは、これらの北前船の現地情報かもしれません。それが、情報の発達、厳密には「電報」ですね。北前船が知る前に、多くの市場関係者が寄港先にその相場価格が知れ渡ってしまったことで、容易にものが売れなくなった。いわば情報戦で、売れるもの、売れないものを船主は知っていて買い付け、売りをしていたわけですから、タイミングをはずすわけで、儲からない!。
現在北前船は、北海道と関西を結ぶ海上航路として、フェリーとして、また廻船問屋のノウハウは保険業、銀行業として現在に引き継がれています。
この構図は、19990年代の「旅行業界」極めて似ています。
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