丹後から丹波、山城を通り、遠く平城京へつながる、歴史古道がありました。
絁(あしぎぬ)の道。
絁とは、古代日本に存在した絹織物の一種。交換手段・課税対象・給与賜物・官人僧侶の制服などに用いられました。
古文書をひもとけば、現在の京都府丹後地域の鳥取郷(今の京都府弥栄町)から、奈良の平城京へ納める税金として、「赤米」や「あしぎぬ」を献上していたという記録があります。「あしぎぬ」はまた、今織られている丹後ちりめん゛の遠い先祖といわれ、奈良・正倉院に納められている品物の一つに、赤いあしぎぬがあります。
古文書をひもとけば、現在の京都府丹後地域の鳥取郷(今の京都府弥栄町)から、奈良の平城京へ納める税金として、「赤米」や「あしぎぬ」を献上していたという記録があります。「あしぎぬ」はまた、今織られている丹後ちりめん゛の遠い先祖といわれ、奈良・正倉院に納められている品物の一つに、赤いあしぎぬがあります。
このように、古来より丹後と奈良・平城京のつながりが見られます。
山城の地では、平城京から平安京に遷都される約50年間に、二つの都が存在しました。
歴史ロマンの幻都「恭仁京」と歴史ミステリーの都「長岡京」です。山城に都があったことを偲ばせるのは大極殿跡と、多数の国宝、重要文化財を所有するお寺が山城地域に散在しています。
また奈良の著名なお寺の末寺として、山城地方には関係するお寺が今も存在し、平城京の都から、多くの僧が修行の場所としてこの地を行き交いしていたといいます。なんと海と平城京と平安京、伊勢神宮が繋がっているんです。
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