野々口西蔵坊
現在の亀岡市の宮前町にある金輪寺の山伏であったといわれ、織田信長の事績を記した『総見記』には「本目ノ山伏」と記されている。
西蔵坊は、丹波攻めに際して光秀の指令を現地へ伝える役割や、木材を河原尻村から保津川端に運搬するなど、光秀の丹波攻略や統治に積極的に関わってた。
明智光秀との連署での古文書も残る。
何度も言いますが、丹波から見れは、この人たちは丹波の裏切者です。
<埴生城跡>
https://www.city.kameoka.kyoto.jp/kirin/rensai/7.html
【典拠】「小畠文書」(天正6年)
11月15日付、明智光秀書状
「小畠文書」年未詳7月4日付、明智光秀書状
「谷森建男氏所蔵文書」年未詳9月3日付、村井貞勝書状
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