京都の歴史産業遺産として、まず「大仏鉄道」があげられる。
意外と京都の人は気が付いていいないが、ぜひこの機会に知って欲しい遺産です。
全国各地で鉄道の敷設が進む中、奈良周辺においては、1890年12月27日に(初代)大阪鉄道の手で関西本線湊町(現在のJR難波) - 天王寺 - 奈良間が開業し、その後の1896年4月18日には奈良鉄道の手で現在の奈良線にあたる京都 - 木津 - 奈良間の路線が開業していた。
一方で関西鉄道は、東海道本線のルートから外れた旧東海道の宿場町を縫うような路線の建設を目指し、現在の草津線・関西本線草津 - 柘植 - 名古屋間にあたる路線を1895年11月7日に開業させていたが、同社ではさらに奈良・大阪方面へ路線を延伸し、国有鉄道東海道本線から乗客を移行させることを目論むようになった。
同社では、とりあえず柘植から西進して大阪へ向かう路線を建設することを目指し、それと同時に加茂から分岐・南進して、大阪鉄道奈良駅へ乗り入れることを目指すことにした。大阪方面の延伸に関しては、1897年に現在の片町線にあたる片町(廃駅) - 京橋 - 四条畷間を開業させていた浪速鉄道を合併し、同社の保有していた路線と接続させる形で、網島(廃駅) - 四条畷 - 祝園 - 新木津(廃駅) - 加茂間の路線を1898年に開業させ、名阪間の直通列車を走らせるようになった。
しかしながら奈良方面の延伸については、1890年に開業した大阪鉄道が既に駅を設置しており、さらに1896年には京都 - 奈良間を結ぶ奈良鉄道が乗り入れており、運行上錯綜した状態となりつつあった。このような事情から、関西鉄道による奈良駅への乗り入れに当たっては新たに地上施設の拡張を要し、しかも関係3社それぞれが官公庁への諸認可手続きを申請して認可を得る必要があり、交渉は長引くこととなった。このため、加茂から奈良へ向けて路線建設を進めてきた関西鉄道は暫定的に、仮のターミナル駅として大仏駅を建設することとした。
その後、1899年5月21日に3社協定が成立して関西鉄道の奈良駅乗り入れが実現し、さらに1900年に大阪鉄道を合併して湊町 - 奈良 - 名古屋間のルートを本線にすると、同社では大仏駅に代わって奈良駅の方に集客・輸送の重点をおくようになり、大仏駅の乗客は急激に減少することになった。
そして1905年に奈良鉄道を関西鉄道が合併すると、1907年に旧奈良鉄道線と並行しており、25パーミル(‰)の急勾配を有していて運転の障害にもなっていた加茂 - 大仏 - 奈良間の路線を廃止し、加茂 - 木津間に新線を建設して木津 -奈良間を本線に組み込むことにした。これに伴い、本線の距離は3.2km伸びたものの、勾配の解消で所要時間を変更せずに運行可能となり、大仏線は廃止された。
同時に、新木津 - 加茂間も廃止(新木津駅は休止後、のちに廃止)され、木津へ関西本線・片町線・奈良線の各線が集まるような現在の形が形成されている。
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