2019年12月30日月曜日

光秀の丹波平定の功労者?①

小畠左馬之助、小畠助大夫。
信長の統一戦が進む中天正三年(1575)六月十七日、朱印状を受け、丹波攻めのために派遣する明智光秀に協力するよう命じられている。光秀からは同月十九年、知行安堵され、働きによって新知を加増することを約束された(小畠文書)という。
丹波に居りながら、光秀の丹波平定に際しては手下となって、手引きするとは?

丹波の国衆から見たらそうなるのですが。
小畠の読み名は、”こばたけ”です。ほとんどの人は”おばた”としていますが、小畠の末裔の方に聞くと”こばたけ”でした。その理由は長くなるので割愛しますが、



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