2010年2月22日月曜日

島唄の意味すること

「島唄」/ THE BOOM 作詞:宮沢和史 (歌詞の意味)
ってご存知だろうか?
この曲の奥底は深い。そこらの馬鹿教授の沖縄論の域を超えている。
この曲の解説をしてみた。これが理解できれば、修学旅行の実施は意義あることになる、絶対!「


「島唄」/
でいごの花が咲き  (1945年4月1日 春が訪れ)

風を呼び 嵐が来た (沖縄本島北谷(ちゃたん)へ米軍が上陸した。風とはアメリカ軍、嵐とは米戦闘機、米戦艦を指している)

でいごが咲き乱れ  (4月から6月に真っ盛りとなる、 特に6月23日は沖縄にとって最重要)

風を呼び 嵐が来た (米軍の侵攻が続いた)

繰り返す 哀しみは (米軍の残酷な殺戮とともに、1500年代後半には島津藩により琉球王国が侵略され属国となり独立国ではなくなった経緯のこと=繰り返されている)

島わたる 波のよう (寄せては引く波の様に繰り返された侵略の歴史)

 

ウージの森で    (サトウキビ畑=沖縄本島で)

あなたと出会い   (出会った、あなた=兵士ではなく民間人まで巻き込んだ戦争であることを指している)

ウージの下で    (ガマ=鍾乳穴=防空壕の中で)

千代にさよなら    (殺されて永遠のお別れをした)

 

島唄よ 風にのり  (島唄よ 海の向こうの本土まで届けておくれという意味と、琉球にとって宗主国は日本ではなく、中国です、なぜなら首里城の守礼の門は本土東京ではなく、北京の方向を向いて建てられているから)

鳥と共に 海を渡れ (亡くなった人々の魂を、沖縄の悲しみを)

島唄よ 風にのり届けておくれ(島唄よ 海の向こうのニライカナイまで届けておくれ)

わたしぬ涙     (亡くなった人々の魂を、私の思いを)

 

でいごの花も散り  (1945年夏 たくさんの沖縄の人々の尊い命が散った)

さざ波がゆれるだけ (今はあの悪夢が嘘のように静かだ)

ささやかな幸せは  (ほんの短い幸せな日々の生活は=島津藩による琉球侵攻までの短かった栄光ある王国の歴史)

うたかたぬ波の花  (はかなく、またも消え去った)

 

ウージの森で    (サトウキビ畑で)

歌った友よ     (一緒に歌い遊んだ、あなた)

ウージの下で    (防空壕で自決する前に)

八千代に別れ    (泣きながら故郷を歌った)

 

島唄よ 風に乗り  (島唄よ 風に乗って)

鳥とともに 海を渡れ(魂と共に 海を越えて)

島唄よ 風に乗り  (あの人の居るニライカナイ)

届けておくれ    (私の愛を届けておくれ)

私の愛を

 

海よ  (人間は海から生まれて、宇宙=天に戻っていく。琉球人の心の源=ニライカナイへ)

宇宙よ

神よ

命よ

このまま永遠に夕凪を(琉球王国が全盛だった時代に戻りたいという想い。今この思いを世界に広げて欲しいという思いが含まれる。今、あなたを思い、永遠の平和を祈る)



※ニライカナイとは、遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界、遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界。豊穣や生命の源であり、年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。生者はニライカナイより来て、死者はニライカナイに去ると考えられている。琉球では死後7代して親族の守護神になるという概念が信仰されており、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは神が生まれる場所でもあった。 ニライカナイは来訪神のいる世界であるが、死者の世界でもあり、複合的な観念を持った楽土である。なお、琉球では他の他界概念として、権威を守護する神々の神界としてオボツカグラを想定していた。ニライカナイは本土の常世国の信仰にあたり、柳田國男は、日本神話の根の国とは同一のものとしている。 信仰上の他界概念を水平表象と垂直表象で論じた折口信夫は、ニライカナイを水平の、オボツカグラを垂直の他界と指摘している。この場合やはり中国の北京とみるのが現実的でしょうか?

2010年2月13日土曜日

MICEの受け入れの課題

受け入れ態勢の課題
 1)査証発給
多くの人が指摘するのがビザの問題。 「大型団体の入出国手続きの円滑化など、特別な審査を講じてもらえるとよい」などの意見がある。ようするに査証発給は外務省対応の問題ですね。 公務員にスピードを求めるのはぐの骨頂だが、世間の支持があるから、何とか動くことにはなるかと思うが。乱発するわかにもいかず頭の痛い話ではある。    2)施設インフラなどハード面の課題
インセンティブで問題になるのが、ユニークベニューの使いにくさとよく指摘される。 特殊手配というか、差別化のできる施設の使用。「外国では、美術館、博物館、城などがMICEのレセプションで使える。ウィーンのミーティングプランナーズガイドでは公的施設のMICE用施設を掲載しており、ウィーン自然史博物館ではスペース、収容人数を提示している」、「日本では美術館、博物館は使用の手続きが煩雑で直前にならないと予約できない。何年も前から予約できないとMICEとして招致しにくい」と公的施設の使用条件の緩和を訴えた。これに対し、観光庁参事官の大滝昌平氏は「ユニークベニューとして解放している施設のリストを作ろうとしている。制度的な問題が出てくれば、関係省庁などに協力を求めていきたい」と、観光庁の取り組みを説明した。 がしかし、無理やろね。公務員ではまだまだ時間がかかりそうです。使用に制限があり、日本では歴史的な物件は保存重視で、活用に重点をおいていないから、このあたりがネックだと思う。 
3)清算方法 また外国人の日本での支払いについては、「外国のキャッシュカードが使えるATMがない」のが最大のネックかも。たまたまセブン銀行のATMでキャッシングしてもらったが、国際会議で地方都市に誘致するとATM設備も必要になる」と課題も加える。その通りだろう。中国人なら最近「銀聯カード」が出回ってきたが、こういう対応は早急に必要だろう。
 4)地方の会場
 地方の展示場、会議場は十分でない。立派なビルである必要はないので、有休施設を使うなどコストのかからない方法で整備をしてほしいとの意見が多々ある。 地方の実態について指摘があったわけだが、整備するためにまた公共工事を増やすというものではないらしいからまだ許せるが、金のかかる話ではある。0から   

2010年2月12日金曜日

MICEの読み方と意味がまだ浸透していない

新聞によると、MICEの読み方と意味がまだ浸透していないとの記事があった。
 『政府は2010年をMICEイヤーと位置づけ、これまでの国際会議だけでなくMICE全体を推進する方針だが、そのためには国内ではMICEという言葉の認知、海外では日本がMICEにふさわしい場所であることを知ってもらわなければならないとした。
 今回の会議でもMICEの4分野にわたって重要な課題とされたのが、国民に対するMICEという言葉とその概念の周知だ。JNTOの間宮氏は、「2009年12月に開催された国際ミーティング・エキスポ(IME)で各地のコンベンションビューローなどにアンケートを取ったところ、MICEのうちCへの取り組みは100%だがMとIは半分、Eは2割くらいしか取り組んでいない。知名度の向上と、C以外の取り組みを増やさなくてはいけない」と現状改善を強く求めた。』
 で、MICEって何?という人はいないと思うが、「マイス」と読みます。ちなみにこの、MICEの国際会議は「IME」。これは「アイミー」とよみます。 上記のMはミーティング、Iはインセンティブ、Cはコンベンション、Eはイベントだが、この浸透を!といっているわけです。 旅行業界としては新たな新需要として注目されるほか、取り組みが自治体もあわせて活発になる。 ただ、MICEの取り組みには自治体の柔軟さが求められるのと同時に、プロデューサーの存在が不可欠。パーツパーツを結びつけるプランナーが不可欠だろう。 人材育成にも力点がおかれるらしいが、そんなことは当たり前。古いようでまだまだ専門家が少ない分野なのかもしれない。だから新需要として期待がかかるのかも。     

2010年2月11日木曜日

『農業科と研修旅行を考える』

一.日本農業の概況  1995年執筆

1995年2月現在、農林水産省の調査によれば、農家の人口は1506万人で、過去5年間に224万人が減少した。内訳では農業専従者や主に農業に従事している人は489万人で、5年間で13.5%も減ったという。一戸当りの経営農地は1.2%で五年前より5.4%増加。年齢構成で65歳以上の割合は、24.7%と5年前より4.7%増加した。とくに稲作農家における65歳以上の割合は50.9%と初じめて5割りを超えるなど農業担い手の高齢化が浮き彫りになった。

 1995年11月「新食糧法」施行された。約50年間続いた食管法が現実からかい離していことや新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の農業合意によるコメの部分開放を背景にいま日本農業は新しい時代を迎えた。

「新食糧法」施行にともない、1996年6月から小売り事業は都道府県知事に許可制から登録制に変わる。政府による全量管理体制から民間流通を主体にした部分管理になるという。販売する場所さえあればだれでもコメを売ることができるのだ。
 この「新食糧法」は農業ビジネスにとっての規制緩和であり、生産から消費までコメ取り引きに競争原理を導入するもの。消費者にとっては「安いコメ」期待が高まるものの、販売サイドでは新たなビジネスチャンスを求めて激しい競争が予想される。
 日本の食糧市場は総額、一人当たりの支出額でも世界で有数の市場といわれている。とりわけ、調理食品や外食、不可価値の高い需要が増えているのが要因だという。
 1993年には食料時給率が37%に低下した。日本の食料輸入額は85年以降急増しており、85年から90年までで1.5倍になったという。この海外からの輸入農産物の増加は今後もますます拍車がかかるだろう。
 国内においては農家の後継者不足、高齢化問題が年々深刻になりつつあり、国際競争の中で日本の農業がいかにして生きていくか、など内外にわたり課題は多い。

二.農業科を取り巻く状況
 学校農業科を取り巻く環境も転換期を迎えつつある。新しい時代の中でその存在意義、あり方が問われている。新学習指導要領では、農業経済、食品流通等に関する教育内容の充実として「農業経済」「農業会計」「食品流通」「食品加工」の科目が新設。またバイロテクノロジー等の新技術や情報化の進展に対応した教育内容の充実として新たに「生物工学基礎」「農業情報処理」「課題研究」設置された。
 学科の改善としては「農業経済科」の新設や「食品製造科」から「食品科学科」へ、「生活科」から「生活化学科」へと学科名が変更になった。 社会の変化や科学技術の進歩に主体的に対応できる能力と態度の育成をはかることを目的とした改善だという。

三.農業科への研修旅行を考える
<テクニカルビジット研修旅行>
 視察素材としてできる限りテレビや新聞で取り上げられた素材を紹介してみる。農業は我々の生活に「食」の部分で密接に関わっており、その意味では切り離すことはできないだろう。生産者と消費者との良好な関係維持のためにも生産者と農業科生徒に尿業を取り巻人気筋、流行も視察して欲しい。なお見学受入れ可否はご事前に確認いただきたい。
「産地表示小売店」を視る
 野菜や果物の輸入物の生鮮食品の産地を表示する小売店が増えているという。円高の影響もあって産地を確認したいと言う消費者の要望が強まっている。生鮮野菜の1994年輸入量は約65万トン(前年比66%増)、農林水産省でも将来的には表示を徹底させようとする方向で検討を始めた。一方で表示することによる消費者の敬遠傾向も予想される。
〔視察先候補〕
 ・イトーヨーカ堂…農産物について国内海外を問わず全品に表示をしている。
・ジャスコ…三年前からころから表示を充実するよう努めている。
 ・ダイエー…売れ筋商品について表示を徹底。

「地アイスクリーム」を視察
 いも、羊乳、濁り酒、わさびなど一風変わったアイスクリームがちょっとしたブームである。地アイスとよばれる地域限定のユニーク商品である。地域おこしのアイデアとして個性のあるヒット商品となるものを農業科でも検討してみては?
〔視察先候補〕
 ・濁り酒を加えたアイス…宮城県松山町
 ・わさびの入ったソフトクリーム…静岡市平野地区、長野県安曇野
 ・さつまいもアイス…埼玉県川越市で商品名「いもアイス」を考案
 ・羊乳アイスクリーム…北海道小樽市
 ・さくらんぼアイスクリーム…山形県寒河江市。その他ベニバナ、モッテノホカ、イカスミなども生産。
「第二次ハーブブーム」を視察する
 80年代後半に広がったハーブブームが復活した。最近の自然派志向に支えられて、買うハーブから育てるハーブへと消費者の楽しみ方も変わっているという。人々が望むものを日本農業として供給できるよう研究し取り組むことは、将来的にも時代に即した農業を存続させることになる。市場規模は20億円で、その内8割以上が外食産業向けである。このハーブ産業に対する農業科への提案としては、次のようなものが考えらる。
 ・「ハーブ園芸育成講座」
 ・「学生によるハーブの新商品化」…香り袋、石鹸
 ・「ハーブの新種改良」
「アロマテラピーブーム」を視察する
 ハーブブームの一つではあるが、市場規模は1000億円に届くという。今後農業での健郵政かが一般生活にいかに貢献していくかということを考えたとき新たな取組が必要。アロマテラピーは芳香療法の一つとして注目を集めている。日本ハーブ協会連絡協議会には約300もの企業や個人が加盟している。
〔視察先候補〕
 ・「日本ハーブ協会連絡協議会」への訪問、講演会など
 ・「ハーブ情報誌“HERB”」を訪問、記念講演会
 ・全国のハーブ園を見学、およびハーブフェスティバルへ参加
「無農薬農産物」を視察する
 世間で今消費者の注目を集めている農薬や化学肥料を使わない有機農産物。食品に関する安全性と環境問題を重視したり、第三世界の生産者の自立を支援したりする「共生ビジネス」。この「共生ビジネス」への若い生産者の自立の思いを支援しようする動きが盛んになってきている。

〔視察先候補〕

 ・「第三ショップ」…東京都目黒にてオープン。無農薬、無添加、無糖缶コーヒを開発。
 ・「らでしゅぼーや」…埼玉県戸田市。有機農産物、無投薬の養殖魚、無添加食品などの会員制宅配。
 ・「ポラン広場」…埼玉県上尾市。有機農産物、無添加加工食品などの共同仕入れ機構野菜の生産農家と消費者との交流も盛んである。 

「有機農業」を視察する
 全国的に今、有機栽培、低農薬米に取り組む農家、農協などが増えつつある。有機農業を通じて都市部の消費者との交流を広げたり、規制緩和が追い風となって「有機栽培」「低農薬米」にこだわりのある消費者を狙いに、安全性や品質を前面に押し出した米が注目されている。・宮城県経済連…ササニシキなどの有機栽培に力を入れている。
 ・茨城県岩瀬農協…有機栽培、低農薬米のコシヒカリを「太陽ひかり米」として首都圏へ産地直売している。また自然農法としての「太陽熱乾燥」もPR
 ・千葉県「山賊クラブ」…有機農業を通じて都市部の消費者との交流を広げ、休耕田復活を目指す。あたらしいむらおこしの形態として注目されている。千葉県鴨川市の大田代集落
 ・「DEVANDA」…全国的な消費者組織として千葉県市川市にDEVANDAが発足。有機農産物の産地直送の体制を進める活動を実施。

「市民農園」を視察する
 土にふれたいという都会部の自然派志向は相変わらず健在である。同時に周りの人々やとの交流を求めて市民農園も変過しつつある。
 しかし調理室、シャワー完備の豪華クラブハウスなどが登場するなど、まだまだ本物の自然のなかでの市民農園では期待は遠い。都市部での市民農園はコミュニケーション型。地方ではむらおこし型が特徴といえる。これらの市民農園を通して、将来的日本に根付く日本型市民農園を研究してほしい。
 ・東京都練馬区「貫井市民農園」
 ・東京都世田谷区立市民農園
 ・長野県四賀村「坊主山クラインガルデン」
 ・群馬県倉渕村「倉渕村クラインガルデン」 など市民農園は全国に約五〇〇〇か所。

「ユニーク農法」を視察する
<合鴨農法>
 農薬の代わりにアイガモを田んぼに放ち、害虫駆除や雑草を食べさせる。東南アジアでも行われている。日本でも「全国合鴨フォーラム」が開催されるなど環境を保全する合鴨農法、知恵のある農業、むらおこしの一環として注目されている。
 ・宮崎県木城町
 ・岡山県高梁市
 ・岐阜県大垣市
個性米…全国でユニークな個性米が出現したという。新食糧法による競争激化を勝ち抜く狙いで、ちょっと変わった栽培法が特徴だ。無農薬、天日乾燥、天然ミネラル水利用など、従来は有機栽培、低農薬栽培であったからものからの個性化戦略だ。

 ・高岡市、滑川市…「アルギット米」。ノルウエイー産の海草と有機肥料を組み合わせた土からコシヒカリを栽培する。
 ・秋田件大潟村…「カルゲン米」。魚の骨などカルシウムを多く含んだ土壌改良剤を使用。
 ・岩手県…「天日乾燥米」。機械乾燥より舌触りはいいという。
 ・佐賀県西有田町…「棚田米」。雨などの天水だけで利用する棚田120アールに限定して栽培。

「モンゴル遊牧気分」を体験
 日本でモンゴルの宿泊施設「ゲル」を宿泊体験できるところがあるという。農業科の学習課程とは直接関係ないが、他国の放牧生活を体験できる施設としても注目されてつつある。
〔視察先〕
・モンゴル村…長崎県鷹島町。その他見学施設は歴史民俗資料館がある。 

海外視察研修旅行

 大規模農業を得意とする農業大国よりアジアに目を向けたい。今後アジアにおける日本の役割を考えると、アジア諸国に貢献できる知識、技術はまだまだある。現実にアジアへでかける日本の農業高校も次第に増え始めた。最近話題になった国を上げてみた。
 タイ農村視察…広島の農業高校が実施。タイ北部のクンバイヤー村を訪問。その他タイの米生産地としては、日本でも知られている地名として、チェンライ、チェンマイ、カラシン、コンケーン、ナコンサワンなどがある。


四.その他の実施事項案

・農村体験プログラム創り
 グリーンツーリズム。こんな言葉のもとに農山村で自然体験や都市との交流をする傾向が注目され出した。数年前からグリーンツーリズム推進指定都市に名乗りをあげる自治体が増えるなど、自然派志向にともない今後も伸びていくことが予想される。ただ受入れ側の宿泊施設面もさることながら、体制や農山村業体験メニューの充実や課題といえよう。修学旅行ですでに体験学習としてかなり前から受け入れをしている自治体もあるので問題はないが、この機会に社会人向けにルニューアルすることを考えてみてもいいだろう。むらおこしの施策としても有効な事業ととらえることができる。
・農山村業体験インストラクター養成
今後市民農園や都市部の自然回帰欲求を満たすには、本当の農業をレクチャーできる市民向け指導者、農山村業インストラクターが必要になってくるだろう。それには農業学科卒業生が携わってくれれれば心強い。ボランティアとしても、地域人材シルバー層の活用としてもむらおこしにも活用できる。


修学旅行を割高にしないため

以上のような錯覚があって、修学旅行費用は割高と思われがちだが、ではどうしたら価格をリーズナブルなものにできるのだろう。確かに先のような誤解以外に修学旅行費用を釣り上げている要因がある。これらを是正しなければ、この状態は是正されない。
<価格上昇させていると思われる要因例>
�一般団体価格の低下と修学旅行内容の質のアップ
もはや学生料金(学生用のメニュー)の設定はありえない?学生も一般団体の旅行内容と今後変わらなくなるだろう。しかしこれは時代の流れとして阻止できるのか。今や一般団体と何ら遜色ない旅行内容を、昔のように差別化できるのか?今や学生だから質素でお粗末で修学旅行はいいんだという感覚は現場にはもはやない。意図的に山奥や離島の民宿に分泊する場合は別として。結論は近いうちに「学生並み」という言葉が無くなる日がくるだろう。学生並み内容の復活はもはやありえないのでは。
�過剰サービス
修学旅行実施中、前の旅行エージェントの学校(教員)に対する過剰サービス、または教員によるサービスの要求。関係機関からの教員への不必要なサービス。これが回りまわって修学旅行の価格に間接直接的に負担増になるのは明らかだ。学校により修学旅行関係費用を旅行エージェントに負担を強要してくる学校も確かにある。ある学校では修学旅行費用をわざと高くして、その分を学校の収入にしている学校が東北の某県でかってあったと聞いている。
�過去の慣習の廃止
下見の実施から研修旅行中の反省会と称する飲み会、土産物屋宿泊施設による教員への土産、旅行業者からの教員へのギブアウエイ配付の自粛など。これらは営業上「必要悪」なのかもしれない。たしかにそれぞれ見方をかえれば必要とうなづけるものだが。ビジネスである以上はどこかで損をした分はどこかで穴埋めをされるものなのだ。
本当に「サービスはただ(無料)!」と思っている旅行エージェントはボランティアでない限りこの世に存在しないのだ。
でもこの慣習は業界と教育界で取り組む問題で根が深いと考える。
以上のように付け焼き刃になるかもしれないが、旅行費用がリーズナブルになる方法を検分してみた。これらだけがすべてではないが、みなさんはどう思われただろうか。今後もこの特集のいく末を見守りたい。   

2010年2月10日水曜日

修学旅行費用は本当に割高なのか?4

<勘違い4>旅行業界における「仕入れ」というものについて
旅行業界に対する指摘として、心無い一部の業者での「ゲタバキ」ということが挙げれられる。
ここでは宿泊機関(旅館ホテル)との関係から検分してみよう。
この業界には確かに悪質なゲタバキを行っている悪徳業者もいることだろう。勘違いしないで欲しいのは、「仕入価格」というのは資本主義にそった正規の経済システムのうえに成り立っているということだ。「ゲタバキ」とは一般の小売値にプラスして業者が利益を上乗せすることだ。ここらの勘違いがよく報道される、コミッション(送客手数料)とゲタバキ(不当収入?)が素人目には同一に映るらしい。
例えば、一般の流通ルートで説明してみよう。
ここに小売り価格300円のトマトがあるとしよう。このトマトは、農家(生産者)−農協(卸・問屋)-スーパ(小売り)−消費者という流れの中で最終的に消費者が購入したものとする。仮にこのトマトは、農協が定期的に、一定数を仕入れることを条件に、農家から100円で仕入れたとしよう。さらに農協は150円でスーパーへ卸し、スーパーも定期的に、一定数を農協から仕入れることを条件に、150円で仕入る。そして150円の利益をのせて店頭では300円で並ぶことになる(例)。これに異議を唱える人はいるだろうか?何ら不思議なことはない。おまけに普段ならこの300円のトマトをタイムサービスで250円で販売すれば、売り手買手ともお互いハッピーではないか?普通の流通ルートで正当な商行為に間違いない。
これを旅行会社が行ったとして、どこが可笑しいというのか。万が一旅行業界でのこのシステムが違法だというのなら、先の農家の150円のトマトは、150円で消費者に提供する義務が農協とス−パ−には発生するはずだ。でもここにはこの当たり前の疑問が発生しない。それは日本が資本主義国家であるからだ。しかし結局、日本経済は旅行業界を問わずこれと同様のシステムなのだ。
旅行エージェントは、旅館ホテルから仕入交渉を行い。安く仕入れて、なおかつ通常の宿泊料金より安く設定して大量販売するのだ。だから旅行会社を通すほうが直接旅館ホテルに予約するより価格は安く、サービスもいい。もちろんここには低価のひきかえに旅行会社にはお客さんを送るという義務が発生していることはいうまでもない。大量送客を前提とした仕入価格の設定の元で、このシステムは成り立っているのがお分かりだろうか?しかし、これがギャランティ(保証)できない業者は当然先の「ゲタバキ」ということをすることになる。これでは300円のトマトを350円で売るようなものである。もちろんコミッションは、日本が社会主義でない限り、正当な商業行為である。旅行業者と関係機関との間において、たくさんのお客さんを斡旋した業者に多くの手数料が支払われ、仕入れ値も低くなることは、トマトの例でもごくごく当たり前のこと。一個の品物を買うより、まとめて1万個買ったほうが一個あたりの単価が安くなるのは小学生だって知っている。(格安航空券の時われわれは身を持って体験したではないか)
あくまで日本が資本主義、民主国家であることを前提にしていっているのだが。
これに不満な旅行者は、泊まりたいホテルに「今後1年間1万人を紹介(送客)するから、今夜の宿泊料金を1,000円値引きしろ」といって交渉してみたらいい。これで絶対値引きはされることは間違いない。これが日本のシステムなのだ。
ただ正直なところこういうシステムが理解できても何となくすっきりしないのは、「旅行」という商品が目に見えない「無形商品」であるからにすぎないと、私は思っているのだが、思い過ごしだろうか??形の見えないサービスにお金を出したくないという日本人の性かもしれない。

2010年2月9日火曜日

修学旅行費用は本当に割高なのか?3

<勘違い3>修学旅行費用が高いとう幻覚
そもそも修学旅行費用が高いのではない。価格破壊で一般の旅行代金が下がったが、私なりの見方をすれば価格破壊の前の一般旅行商品の価格が高すぎたのである。さらに宿泊料金をとってみれば、昔は結構そこそこの宿泊料金でホテル旅館とも必要であった。その分一般と比較して手間のかからない修学旅行は料金を低くできた。しかし昨今の価格破壊により一般の宿泊料金がダウンした分、修学旅行での内容が従来より質がアップして料金アップにつながったともとれる。要するに不要なサービスを削って一般の宿泊料金が価格が下がった分、修学旅行では軒並み内容(質・量)がアップして一般と遜色なくなった分価格が上がり、両者の料金が接近してきた。いや事実として一部の地域では修学旅行料金と一般団体料金が予約の段階で逆転している地域もある。たとえばAホテルの一般団体料金8,000円(1泊2食)、学生料金10,000円(1泊2食)こんなケースが見受けられる。しかも内容は一般団体メニューのほうが豪華だったりする???。ちょっと前までは確かに学生料金の方が安いのが常識だったが、もはやこれは修学旅行にはあてはまらないだろう。まあ安いパック旅行を受けた旅館ホテルがその分を修学旅行で穴埋めをしている?とは思いたくないのだが。
また、笑い話の一つに、家族旅行で泊まった旅館ホテルより修学旅行で泊まった同じホテルの方が部屋も食事も良かった?なんてお父さんの笑えないこともあるが、これは極端にしろ学生の宿泊単価が年々リッチになりつつあることは事実のようだ。
こんな調子で一方は下がりつづけて、一方は上昇し続けるというなかで、相対的に修学旅行の費用が全体として割高に見えるのはやむをえないかもしれない。一度学生団体と一般団体との宿泊料金の平均価格の調査が必要だろう。
 
 

2010年2月8日月曜日

修学旅行費用は本当に割高なのか?2

<勘違い2>修学旅行は競争のない閉鎖的市場?
1.まず、日本では一部の業界を除いて競合のない業界はありえない。このことは旅行業界においても同様である。一部の新聞記事では「競争原理が働かず/日本修学旅行協会調べでは、中学校で平均55,900円、高校で91,000円が平均。さらに続けて東京では年々上昇しており中学校の場合、6年間で1万円アップした」という。旅行費用があがるのは競争原理が作動しないことが原因としているが、これは東京では事実かもしれない。しかし東京以外では確実に事実とは異なる。東京のいわば異常な特異例として捉えるべき。この場合でも、そもそも学校側が入札時におこなった見積価格は毎年変わっていないはずだ。ここにオプショナルの部分として追加され、落札から実施、最終的清算の段階で内容の充実で料金加算されて結果として旅行代金が高くなっているものと推察できる。これは学校側の都合で一方的に旅行会社のせいとは言えないだろう。
2.また「学校や旅行会社に価格を低くする姿勢が弱いことがあげられる」「学校側は毎年同じ旅行会社と契約をする傾向が強い。特に公立の学校は動かない」については、「価格競争を仕掛ければ割安になるかもしれない?」などの記載があるが。
このような価格競合はとっくの昔から業界では存在し(当たり前のこと)、先のような指摘事実は全国的には通用しないだろう。旅行会社の営業マンはそもその業界の中でも「便所掃除」といわれ、業界の中でも営業マンはやりたくないのが本音。しかも営業サイドでは強烈な営業競争があり、もちろん価格競争が展開されている。旅行会社が殿様商売のできる地域が日本に存在することなど、幻覚にすぎないことは業界人が一番知っているはずだ。
指摘自体が時代錯誤、評論家の業界勉強不足といわざるをえない。

2010年2月7日日曜日

予告!平成22年度理事会&総会

こんな会もありますので参考まで。

 ■ 予告!平成22年度理事会&総会
http://www.mii-art-r.com/index2.html

お待たせしました。「平成22年度理事会&総会」の準備が進みつつあります。今回は大阪の宝、国登録文化財「山本能楽堂」で3月28日(日)開催決定。乞うご期待・・・!
いよいよ平成22年度の学会活動が動き出します。激動する時代の中、また平成維新とも言われる第二の維新を迎え、明治維新以後の近代産業遺産を捉えていた当学会も、次なる時代の新・近代産業遺産まで捉えなければならない時代が訪れています。そんな各分野において変革時期を迎える今、創設5年目に突入した当学会の「平成22年度・理事会&総会」を来たる3月28日(日)、大阪は地下鉄谷町四丁目駅下車、徒歩2分のところにある山本能楽堂にて開催する運びとなりました。
山本能楽堂は平成18年には、伝統的な能舞台をもつ貴重な能楽堂として国の登録有形文化財(建造物)の指定を受けており、昭和20年の大阪大空襲で焼失したものの創立80年以上の歴史を持つ、大阪文化の拠点でもあります。この現役バリバリながら、希少価値の高い近代産業遺産の空間内で当学会の「理事会&総会」を開催する運びとなったことは喜ばしい限りです。当日は能舞台をはじめ、可能な限りのバックヤードを見学できる機会を設けたいと考えております。
当日は手短に理事会を終了し、14時から17時の間で、会員並びに一般参加者の動員も図り、特別講演として、当学会の理事であり、建築家・渡辺豊和先生にご登壇いただくものです。日本のポストモダンを代表する建築家の一人であり、1987年に「龍神村民体育館」で日本建築学会賞作品賞をはじめ数々の賞を受賞や有名建築物を設計し、また執筆活動も旺盛で、近年は戦国武将を捉え、豊臣秀吉、織田信長、そして現在は徳川家康を取り上げ研究中とのことです。
そんな渡辺先生が能舞台に登場し、「戦国時代の町づくりの奥義」(仮テーマ)にて語っていただく貴重な講演も予定しており、その際に本年度の学会活動の方針や取り組み方について重大発表を行います。また会員個々の活動も情報交換いただく時間を設け、さらには懇親会にてそれぞれの研究・活動報告を語り合う場を設けます。早春の忙しい時期ではありますが、早々にスケジュールを押さえていただき、また総会にお連れしたい仲間、知人等にもこの学会をご紹介する絶好の機会として、是非とも山本能楽堂での「理事会&総会」を告知願います。
当「理事会&総会」に関する情報は、何回かに分けて山本能楽堂等のご紹介をはじめ、アクセス等の地図や利用鉄道等もご案内しますので、乞うご期待下さい!

修学旅行費用は本当に割高なのか?

ふた昔前に、テレビや新聞で「修学旅行費用は割高?」といったような内容の特集番組や記事を見掛けたことがある。最近はほとんどこんな間抜けな言いがかりをつけるマスコミは皆無だが?今一度、はたして本当に割高なのだろうか。この件について私なりの見解を述べてみたい。 1.修学旅行費用割高論の根拠  このテーマについての間違った視点をまず指摘しよう。
<勘違い1>パック旅行と修学旅行との単純比較
取り上げられている比較の仕方についてはパック旅行という「企画主催旅行」と修学旅行という「手配旅行」の旅行料金を単純比較するのはおかしい。この比較の仕方はまるでオーダメイドのスーツが大量生産された既成品(レディメイド)のスーツより割高でないか、というのに同じだ。誤解しないで欲しい、私はここでレディメイドだから修学旅行が高くて当たり前といっているのではない、比較することがそもそも無理があるといっているのだ。比較できないではないか。
それでは比較するためにはどうすればいいのか、簡単なことだ修学旅行のパック旅行と比較すればいい。また逆に一般の手配と同様に比較すればいいのだ。
しかし残念ながら、修学旅行の「パック旅行」というものは、まだこの世に存在しないのだ。私は常日頃からこの修学旅行のパック旅行が開発されればたいへん安く旅行が実施できると考えている。旅行代理店の設定する「パック旅行」はそもそも旅行客があまり動かない時期に、限定数、一種の特別限定価格で設定をしている。時期が平日であったり、何らかの制約があって、この料金というような商品になっている。だから格安なのだ。もちろん価格と引き換えの制約はともうなう。まずここでは宿泊費交通費等を含む旅行業界の一方的な仕入れで作られていることをまず頭に入れて欲しい。
もしもパック型修学旅行商品ができたなら、これは観光業界にとって一大革命だ。超閑散期に大量の修学旅行生が動いてくれ、一般客の来ない時にお金を落としてくれるなど、まことにありがたいことずくめだ。しかも旅行ピークの波もなく、一年を通して観光業界はうるおうではないか。さらに学校側がこれらパック旅行にすべて条件を合わせて修学旅行を実施してくれれば、みんなハッピーになれる。しかし実際は、旅行エージェント側が交通機関や宿泊先、食事個所、観光個所などをすべて御膳立てするということは、旅行する側は安い旅行価格と引き換えにある程度の制約がともない選択幅も狭まってくる、そういう条件がつくことなのだ。
私は修学旅行という性格上、現段階では現実にはありえないと考える。
当然出発時刻や部屋の条件、食事内容に至るまで、すべてこのパック旅行用の設定となる。(学校の諸事情は関係なく、旅行の上意見優先だ)選択できる余地は極端に少なくなるだろう。例えば北海道へスキーに行くとして、2泊3日で航空券より安いパックツアーを大量の修学旅行が現実に利用できるだろうか?もちろん、出発日はあらかじめ決められた限られた日程の中から選びぶことなる、出発時間にしても早朝出発、遅便帰着での利用しか認めないだろう。
もちろん、営業という面からみれば、出発までの打ち合わせも削除される。団体いえど旅行斡旋に関する事前連絡は書面で1、2回やりとりする程度だろう。これで団体の修学旅行がうまくいくとは思えない。
そもそも航空会社がこんな稼ぎ時に、安い修学旅行料金で、大量に団体枠を提供するなどありえないと現状では思うのだが。

2010年2月6日土曜日

『中国修学旅行実施に際しての視点を考える』

※1995年執筆


1.中国への研修旅行の現状
 中国への修学旅行が今増加傾向にある。88年の高知学芸高校の上海列車事故や89年の天安門事件などにより一時停滞したものの、自治体の航空機利用許可、円高による国内旅行と費用面で遜色ないこと、教育面の国際化への対応などにより91年頃より復活傾向にある。

 94年に中国に修学旅行で訪れたのは94校・25,346名で、1位の韓国に次いで方面別でも2位にランクされている。旅行日数としては、韓国と同様に平均5日間(全体の64%)となっている。費用面では韓国の旅費平均の101,100円に次いで、146,200円と多方面に比較してより経済的な料金平均となっている。
2.中国への修学旅行実施するポイント
 現在、中国へ修学旅行を実施する際のポイントしては、中国(台湾も含む)の場合、次ぎのような理由付けが多い。
 ・国際化への対応(国際理解教育)。
 ・国際理解、親善、交流。
 ・外国を学ぶことにより日本を良く知る。
 ・姉妹校訪問及び学校間交流
 しかし、これらのポイントが中国に方面を決める際の中国独自の理由とは考えがたい。最終的に広義的な意味で考えるなら、海外修学旅行を実施する際の代表的な目的理由と置き換えてもいい。つまりはっきり言ってしまえば中国に修学旅行を実施する理由というべき”顔”が見当たらないのだ。方面をどこに決めてもこれらの理由が立派な大義名分になるからだ。中国へ修学旅行を実施する中国独自の大きなテーマは必ずある筈だと思うのだが、実際のところたまたま経済的理由とか、実施の容易さで訪問国を中国にしたといういうものが意外と多いのではないかと考える。ここでは中国へ修学旅行を将来的に実施検討する学校に今一度そのポイントを企画立案したい。
 これから中国へ修学旅行を実施する際のポイントとして、次ぎの幾つかのテーマをあげてみた。

 テーマ■『歴史学習的視点から』
 テーマ■『ODAから中国をみる』
 テーマ■『国際文化使節交流団』
 テーマ■『中国の”現在と未来”を視察する修学旅行』
これら4つの視点から中国修学旅行を検討してみたい。_

テーマ■『歴史学習的視点から』
 1995年に太平洋戦争が終結して50年という節目の年を迎えた。残留日本人孤児問題をはじめ、中国人強制連行、南京大虐殺の真相など事実関係が今もあいまいなまま残っている。おりしもこの年、戦争により日本軍に破壊された南京城壁の修復などへ日本からボランティアが訪れたと聞く。加害者としての歴史学習は日本ではまだまだであるが、世界唯一の原爆被爆国としての視点を変えた両面からのバランスの取れた歴史学習を実施するために見学地として加えてみてはどうか。
《見学先候補》
 ・北京での見学先…中国人民革命軍事博物館、中国人民抗日戦争紀念館
 ・南京での見学先…南京大屠殺遇難同胞紀念館

テーマ■『ODA(政府開発援助)から中国をみる』
《ODA型修学旅行実施のメリット》
 ・政府の開発援助にテーマを絞ることにより、より専門的、より高度な研修旅行の実施が期待できる
 ・日本の国際貢献の現場や第一線で活躍する方々を通して、生きた国際化教育、理解の推進がはかれる。
 ・国際関係を理解することで、国際感覚を持った国際人を育成する。

《現地活動プログラムの例》
 ・ODAの援助現場への視察訪問。
 ・地域のボランティア活動の見学および体験参加。
 ・在留日本政府関係機関への訪問および国際交流セミナー、意見交換会の実施。
 ・現地の中学生、高校生との交歓会。
 ・現地中学校、高校の授業を合同で体験。
 ・現地国際交流組織団体との交流会。など、外務省の外郭団体の協力をえて実施する。

《中国での視察先例》
 ・日中友好病院(北京市)・永福小学校復興計画(上海市) ・北京第二福祉院(北京市)・上海地区清掃車(上海市)
・地下鉄(北京市)   
・上海江橋老人ホーム(上海市)  他

テーマ■『国際文化使節交流団』
中国と友好(姉妹)都市を結んでいる日本の自治体は92年上期の時点ですでに132都市にまで達している。中国との友好都市提携については、他国に比べて政治的影響を非常に受けやすいという特徴をもっている。今後中国の都市との友好都市提携が促進されるかどうかは、日本と中国の関係により左右されることが大きいと予想される。しかし文化や経済面での協力などが、今後は民間レベルので交流の中心となるであろ。中国本土においても解放都市が年々増加しているという現状から息の長い国際交流が期待されている。このような中で、学校が所在する自治体に中国の都市と友好都市提携を結んでいる都市があるであろう。これらの自治体の関わりからその都市を訪問した修学旅行をつくることを提案したい。

 例/友好都市提携を結んでいる日本の都市の首長がらのメッセージを中国の相手側の首長に届ける。
例/日中共同でお茶、書道、お花、伝統芸能などの文化を中心とした地域の文化イベントに参加できないか。日本からの中国友好都市への一文化使節団の代表としての位置付けからその都市のイベントに参画する。単なる学校間の交流に止まらない文化を通じた相互理解を考えたい。

テーマ■『中国の”現在と未来”を視察する修学旅行』

・21世紀の世界の成長市場「経済特別区」を視察する。日本経済が低迷する中、中国は2010年には世界最大の経済大国になると発表がされて久しい。「改革と開放」の政策のもと深、珠海、汕頭(広東省)、厦門(福建省)など経済特別区が指定され世界が注目している。やがては日本に脅威となるべく経済の発展が予想される国の今を、修学旅行で若いみなさんに自分自身で見て体験してもらうことを提案したい。内容的に一般企業へのテクニカルビジット的な高度なものとなるが是非とも高校生の今だからこそ実施したい素材テ-マである。

・今中国の大都市(北京・上海)で流行しつつあり、最も注目されているテーマについてその都市を見学してみたい。また今後ますます伸びるであろう分野について現状を探ってみるのはどうだろう。

例/「自動車産業」「ペット産業」「インテリア」「外食産業」「ファーストフード」理容美容」「百貨店」をテーマに都市を視察する。

例/環境NGOをテーマに中国の経済発展の影に隠れた課題に注目して都市をみてみる。

2010年2月5日金曜日

『ボランティアと修学旅行の視点』

※1995年執筆
一.ボランティアを取り巻く現状

 ボランティア活動の原則は『①自立性、自発性、主体性②無償性、非営利性③公共性④先駆性、という理念に集約される』という。『ボランティアは「自由意思」の意味のラテン語のボランタスを語源として、志願者、義勇兵などの意味で、通常は「自らの意思で見返りを期待しない社会的貢献」をいう』(『imdas1996』集英社より) 1995年1月に起きたわが国最悪の都市型大震災「阪神淡路大震災」は神戸を中心に地域に多大な被害をもたらした。その災害援助の過程では、ふがない自治体や政府の対応とは逆に注目を浴びたのが「防災ボランティア」の皆さんのテキパキとした行動であった。「防災ボランティアとは災害による拡大を防止するため、自発的に援助活動を行う個人または団体をいう」とある(『imidas』集英社1996年)。「スイスの救助犬より来るのが遅い日本の首相」という非難のある中で、この度の大地震において目覚ましい活躍したボランティアに対していま関心が集まっている。  総務庁の「94年度版青少年白書」によれば、阪神大震災前の調査で、ボランティアに現在参加している人の率は5.3%、まったくしていないは66.9であった。しかし今後ボランティア活動への参加の意志については、80.6%と回答しており、その数値の信憑性は阪神大震災におけるボランティア参加状況が示しているいえよう。 しかし、ボランティア活動が脚光を浴びるなか1995年法政大学で実施した学生の学内意識調査では、「見返りの収入があれば参加したい」としたのが全体の四割になった。今の学生のドライな面がでていると指摘しているが、ボランティアの無償性は崩壊しつつあるのも否定できない。 この意味では日本においては純粋なボランティアより、NPO(非営利組織)と呼ばれる組織による活動運営の方が合っているのかもしれない。NPO(非営利組織)とは、活動による収益は個人的な利益としないという法人組織のことをいう。NPOでは基本財産の保全管理ができスタッフの雇用も安定している。また免税措置が講じられれば寄付も募集しやすく、スタッフにおいても組織としての自覚がでてくるという。日本でもこのNPO(非営利組織)制度を導入しようとする市民団体の法人化を目指す動きがある。政府の動きをみてみると、1992年の生涯学習審議会の答申で、ボランティア活動の支援・推進を掲げている。1994年の青少年問題審議会では、青少年のボランティア活動の促進を意見具申している。

教育現場におけるボランティア活動

 教育の場においても、ボランティア活動が取り上げられている。平成元年の文部省の『新学習指導要領』では特別活動の中で次のように新しく記載されている。勤労生産・奉仕的行事…「勤労の尊さや意義を理解し、働くことや創造することの喜びを体得し、社会奉仕の精神を養うとともに、職業観の形成や進路の選択決定などに資する体験が得られるような活動を行うこと」最近は学校においてもボランティアが着目され、ボランティア経験を高校受験の際の内申書の評価に記載するなどの措置のために、逆に「にわかボランティア生徒」が増えたのは皮肉な結果でもある。

二.「ボランティア活動案」

ボランティア活動は自発性、無償性、非営利性、公共性を特徴とするため、学校活動の中で、半ば強制的に行動させるというのは基本理念に反する。そのためは自主的に生徒がボランティアに参加しようという基礎的な参加土壌を作るのが先決か?中学校のように内申書を気にした「にわかボランティア」は不要、もっと本質的な面で賛同して参加するメンバ-を育てる必要があるだろう。学校におけるボランティアへの取り組みは、きっかけづくりと動機付けにあるのかもしれない。

「修学旅行は神戸地区へ」

神戸へ修学旅行を!地震で被害を受けた神戸地区を修学旅行で是非とも訪れていただきたい。迷惑なことでなんかまったくない。未曾有の大地震から復興しつつある関西の底力やそこに生活する人々を見て何かを感じ取っていただきたい、今何をすべきで、何ができるのかを自分の肌で直に触れていただきたい。神戸の復興への近道は人が交流することにあると考えている。人が集まれば自然と街に活気が出てきて、そこに住む住民もやる気、生気が蘇り生活の張り合いがでるだろう。そこから神戸の復興によりいっそう拍車がかかるだろう。自分の足で神戸の街を歩いて、そこに生活する人の話を是非聞いて、復興に掛ける人々の力を学んでほしい。一回の体験は百回の見聞に勝る。また時間が許すなら、ぜひとも震災ボランティアの方々に協力して手伝ってほしい。地震発生後は一日2万人だったボランティアは、1995年5月の時点で1日1100人にまでに減少した。まだまだ人が不足している現状には変わりはない。地震後の高校生以下のボランティア参加比率は全体の約一割。みなさんの助け合いで一日も早い港町神戸の再現をと提案したい。

「神戸大震災を震災教育の教材に」

 今回の地震被害を決して一部の地域、他人ごととして風化してはならない。歴史の中にはっきりと刻み込まなければならないと思う。かって歴史の中では先の戦争記述など、学校教科書においてはあいまいな記載しかされていない現状もあるが、事実を後世に伝えるためにもっと教材として学校の中で取り上げるというのはいかがだろう。

 事例としては西宮市教育委員会では市内の震災被害を状況をカラ-グラフや地図でまとめた教材を作成したという。理科社会の学習教材として学校に配布して、震災の体験を早い時期に防災教育に活用するというもの。

 このように震災の被害地を見て、それをもとに自分の街の防災教育に役立てるという取り組みを学校教育のなかでも実施提案したい内容である。

「修学旅行でボランティア活動を」

 修学旅行で行えるボランティアを考えてみた。本来ならわざわざよその土地まで出掛けて行ってまでする必要もないという意見の人もいる。身近なところから始めるボランティアが一番役立つことも事実である。

 しかし、地元にいては気付かない視点を別の地域で発見することもある。にわかボランティアが出現する中で、本当にボランティアをやろうとする人々や、まったく無関心だった人々への動機付けやきっかけになればいい。実際のボランティア組織の中には、ボランティアはこうでなければならないと主張する組織もある。純粋に力になりたいと考える初心者を頭から否定したり、ボランティアへの参加意思のある人々のやる気を失墜させている面も見受けられる。残念なことだ。

・地域の文化伝統芸能の継承

 修学旅行ではぜひとも訪問先に古くから伝わる地域の文化伝統芸能に触れていただきたい。できれば自分自身で体験してみるのがいいだろう。全国的にもこの文化伝統芸能を将来的に継承する人が年々減少しているのは、共通の課題のようである。直接これがボランティアとして直結するかは不明だが、長い目でみて後継者になりうる人材がでるかもしれない。

・ 昔話を地元の方から聞く。

・ 地元の祭りに参加する。

・ 町おこしのイベントに参加する。

・ 伝統文化の体験…太鼓、民謡、唄

・環境、自然保護活動

 環境学習とも関連しているが、日本には自然環境を保全したり、希少動植物を保護するために地域で活動している団体がある。彼らの活動を通して自分の住んでいる町との比較してみるものいいだろう。残された自然や生き物を守るため、私たちができることから始めてみることが大切なのです。

 ・観光地のクリ-ンアップ大作戦

・植林活動

・農山漁村での作業の手伝い

「ボランティア活動体験学習」への参加

 ボランティアに関心を持っている人たちに施設や活動の現場を実際に見て、体験してもらおうとする体験学習プログラムがある。夏休みなどの機関を利用して活動内容は高齢者、障害者、環境保護、医療、国際協力などの多岐にわたる。キャンプのように宿泊をともなうものから一日だけの体験メニュ-、学校単位で参加できるものもある。

「ボランティア講演会」

 月並みだがまずボランティアの素晴らしさを気付かせ、これから参加したくなるように仕向けることが必要。ボランティア活動の第一線で活躍するレ-ダ-を招いて、ボランティア参加へ至ったきっかけから現在日本のボランティアの課題を語っていだく。啓蒙的にきっかけを学校として設定することで一人でも多くの参加者への動機付けを行う。

「ボランティアクラブ」の設立

 まず学校の仲間や先生を中心としてスタ-トしよう。決して強制ではないが、中学高校の学生のボランティア組織の場合、核となって活動できる人間が必要だろう。学校の先生がボランティア経験者であれば指導もしやすいのだが…

 また、学校の先生に最初にボランティア経験を積んでもらうというのも検討の余地がある。学習指導要領でも特別の活動の指導の柱となっているのだから。そしてこのボランティアクラブの輪を学校間で地域間で広げていけば一人一人の力は小さくても大きな活動へつながるのではないかと思う。夏休みや春休み、連休を利用した単発でもいいから継続した活動になるよう配慮が必要

『歴史教育の新しい視点を検討してみる』


※1995年執筆



一.歴史教育の現状について

 1995年は戦後50年目の年となった。日本における終戦50年は言うに及ばず、アジアの国々でも様々な動きがあった。韓国では日本の植民地支配の遺物としての旧朝鮮総督府(現在韓国国立中央博物館)が八月取り壊された。韓国流の過去への精算である。日本の「戦後処理」について日本に居住する外国人に行った外務省の意識調査によると、65.9%が「近隣諸国の批判的があってはじめて取り組んでいる」との回答であった。さらに「批判されても結局、何も実行していない」が21.9%で、これを含めれば全体の約88%が消極的な日本の態度とみていることが分かる。
 また「国際社会で日本が既に相応の役割を果たしているかどうか」についても同様に「果たしている」が42.7%「果たしていない」が48.3%という結果になり、国際貢献はまだまだ不十分であるとの認識である。
相変わらず不容易な政治家の発言がアジアの国々の感情を逆撫でしたり、国際問題に発展することも後を絶たない。戦後50年も経った今でさえである。今回の調査でも「日本人は先の戦争の過ちを二度と繰り返さないと反省していると思うか」という問いには、「まったくそう思わない」が10.2%、「そう思わない」が26.0%、「わからない」3.9%「どちらでもないが」22.3%と、全体の62.3%が日本人は反省の色なし、またはあいまいと感じていることが分かる。
 学校での歴史学習の取り組みについては、中学校の修学旅行のねらいの二位に「歴史学習」(25.5%)があげられるなど、内容は別にしてもその人気振りをみせている。歴史学習は体験学習の一つとしてとらえられている面もあり、被爆者の講話を聞くなどの体験学習としては全体の1.7%の実施になる。

二.歴史教育の視点を検討する
今までの「平和学習」という言い方で行われてきた学習は、中学校においてはほとんどが広島と長崎の原爆投下被害を素材にしたものである。私立の学校や高校においては、沖縄の「ひめゆり」関係を素材にしたものだろう。内容は資料館や記念館の見学、目玉である語り部の方の講話の実施が大部分を占める。日本における平和学習の疑問は、いつも戦争被害者として日本国なり日本人が対象となっている点にみられる。例えば修学旅行の平和学習でご協力いただく人物は、民間の日本人の戦争体験者が大半であることに気付いただろうか。長崎・広島の被爆者の中には日本人ではない戦争被害者もいる。彼らに日本人と同様の戦争による補償が与えられているだろか。中国韓国をはじめとして、日本が行ったアジアでの戦争については一切触れていないのが特徴だ。この意味でも修学旅行での平和学習とは、日本人被害者のスタンスにたった学習であることが分かる。先の外国人の意識調査でも日本人は反省していないと認識しているのもうなづける気がする

 前半では平和学習という言い方をしたが、これから取り組むべきは「歴史学習」である。

もちろん長崎・広島での平和学習もその一つとして考える。マクロ的な歴史的視野にたった歴史学習を検討したい。戦争の発端から最終的に終結までという流れ中で、戦争に関わってきた日本なり日本人を中心に、従来の視点をかえた素材を取り上げてみたい。長崎・広島・沖縄以外でも学習素材は存在する。他の教科との連携を含めて複合的に取り組みたい。

三.「歴史学習」の新しいポイントを考える
<日本軍の細菌兵器を検証する>
 旧日本軍の細菌部隊では「ハルビン七三一部隊」「南京一六四四部隊」がよく知られている。他の戦争関連の事実と同様に全容ははっきりとされていない。最近になって部隊に所属していた元兵隊らの証言から、その事実が戦後50年たった今徐々ではあるが判明しはじめている。七三一部隊などについては、埼玉県の県立庄和高校地理歴史研究会の生徒諸君が調査しているという。悲しいことに調査を止めるよう脅迫状を郵送したことも報道された。学校では「加害者の歴史を発掘するとはこのようなことか」とショックを受けているという。現在日本にはこれら細菌部隊の事実を証明する施設等は余り見受けられないが、最近になって実際に関わった元兵隊が実名で証言するなど、事実が明らかにされつつある。もしも彼等の実話を聞けるのなら、長崎広島の語り部以上に生徒にとって実りある歴史価値の高い歴史学習となるだろう。

<日本軍の毒ガス兵器を検証する>
1995年は「地下鉄サリン事件」などで毒ガスへの関心が異常に高まった年でもあった。折しも国会ではこの春「科学兵器禁止条約」の批准が承認された。これが発効すれば歴史を遡って旧日本軍が先の戦争で中国大陸で放置した大量の毒ガス弾を10年以内に処理しなければならなくなるという。日本においても近郊の海域に大量の毒ガス弾が投棄されているという。戦後50年を経た現在も毒ガス問題は国際的にも国内的にも根本的な解決に向けての途上にある。
 ・大久野島…1929年農家を強制的に退去させ、陸軍が毒ガスの工場を建設した。1963年島全体が国民休暇村となった。宿泊や見学が可能で小学生の修学旅行で訪れるケースが多い。

<強制連行の歴史にふれる>
 日本国内において朝鮮人強制労働の事実と戦争の悲劇を物語る“負の施設”の存在が話題になった。戦時中に日本の政策により各地の炭鉱や軍需工場に送り込まれ、強制労働させられた歴史である。約100万人といわれる強制連行の実態は今だ不明な点が多い。全国各地ではこの朝鮮人の強制連行を解明しようとする動きがある。ここに一部ではあるがそれに関係のある足跡や施設を紹介する。全国的にまだまだ事実関係がはっきりしていない所も含めるとかなりの数にのぼると推測される。教育現場では若い教師に在日韓国、朝鮮人の歴史を知ってもらうための手引書「証言強制連行」が発刊されたという。

〔強制連行に関係のある所〕  ※ここに記載したのは極一部です
・阿蘇…鉄鋼石露天掘り跡、山鹿トンネル跡
・筑豊…法光寺、徳香追慕碑、弥栄公民館、日向墓地
・大牟田…馬渡り収容所跡(1994年撤去された)
・田川市…朝鮮炭鉱殉職者之碑

〔その他活動体として〕
 「全国在日朝鮮人教育研究協議会」
 「強制連行証言集政策実行委員会」事務局
 「長崎朝鮮人の人権を守る会」
 「強制連行の足跡を若者とたどる旅」事務局
 「大牟田の歴史を考える会」
 「在日韓国民主女性会」   など。


<民間人から見た戦争>
戦争下の日本で軍人に限らず、多くの女性子供を含む民間人が間接的に戦争の準備に駆り出された。1995年はこれらの“負の歴史遺産”が戦後50年を契機に注目され出した。
 例えば特攻隊を通して戦争の悲惨さを伝える鹿児島知覧、万世(現加世田市)においては、1995年また一つ“戦争の証人”施設、特攻宿舎「飛鳥荘」が消滅した。東京都においては、軍需工場や慰霊碑、基地など戦争に関する歴史遺産をまとめた写真集も発行された。一部を紹介すると、市ヶ谷駐屯地、靖国神社、調布飛行場、東大和市の日立航空機の給水塔と変電所、府中市の掩体壕などである。こうした民間人から見た戦争遺物を通して歴史学習を考えてみるのも一案かと考える。見学素材は不幸にも全国に散在している。数え上げればキリがないほどだ。修学旅行で訪れた地域のどこかに該当する民間人の関わった“負の歴史遺産”があるはず。是非とも修学旅行の行程中に含めていただきたいと思う。

<ハンセン病と沖縄での戦争について>
沖縄における歴史学習の違った視点として検討してみてはどうかと思う。
・「国立療養所 沖縄愛楽園」
 「沖縄愛楽園」をご存じだろうか。沖縄愛楽園については、94年7月にTVの番組『ザ・スクープ』でも特集が組まれたことがある。20万人もの命が失われた沖縄戦で一人の医師の適切な判断が900名以上のハンセン病患者をアメリカ軍の猛攻撃から守ったという秘話がある。この事実はほとんど知られていない。ハンセン病(らい)。最近テレビや新聞の『らい予防法』廃止報道で、話題になることが多くなったが、過去には伝染病であり治療が不可能であるという人々の誤った認識から、患者の隔離や社会的偏見の対象となった不幸な時期がある。現在もこの過去に隔離された療養所は全国に存在している。沖縄における歴史学習の一つとして、視点を変えて歴史的事実を直視してみてはどうだろう。またハンセン病患者と戦争という視点であるが、歴史教育というより人権学習といったほうが的確かもしれない。
・「沖縄記録フィルム一フィート運動の会」
戦後50年がたったいま、戦争の記録を残そうと活動を続けている組織がある。「こどもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会」、通称「沖縄記録フィルム一フィート運動の会」である。会長は中宗根政善氏、93年に設立10周年を迎えた。「沖縄戦を負の遺産ととらえ、その遺訓に学ぶ必要がある」とのアピールのもと精力的な活動で歴史を現在に伝える。活動内容は定番となったセミナーで語り部の方々のお話、平和ガイドと一緒に戦跡を見学することなどである。事前学習には積極的に取り組みたい。ここでは会の活動自体に注目したい。この活動に至った経緯や現在の活動内容、活動への参加など見る歴史学習から参加する歴史学習への転換も検討したい。もちろんお邪魔をしない程度にである。 

訪問したい組織候補…「沖縄ネットワーク

2010年2月4日木曜日

『海外修学旅行を考える』

※1995年執筆
一.海外修学旅行の現状
 1995年に入って教育旅行界では「海外修学旅行」がちょとしたブ-ムである。韓国、中国をはじめ今やオ-ストラリア、シンガポ-ル、ハワイ、サイパン・グアムへの修学旅行まで、ここにきて一気に拍車がついた感がある。
 1994年に海外修学旅行を実施した公立高校は、財団法人「全国修学旅行研究協会」の調べによれば107校である。また国内の修学旅行で航空機を利用した高校は1039校となった。同協会によれば方面では韓国・中国で全体の約九割りを超すという。ご存じの通り私立の高校においては、以前から海外への修学旅行を学校の特色として採用している。公立学校からの生徒奪取の切り札として昔はよく使われたものだ。
 しかし、今や月並みな海外修学旅行くらいでは私立の魅力付けにはならないことにも気付いているはずだ。
 もともと海外へ修学旅行を実施することについては国内と異なり、修学旅行の内容以前に公の部分でもさまざまな課題を抱えている。例えば数年前に運輸省が提唱した「海外旅行者1000万人計画」などは、政府の観光、航空施策の一環でどんどん日本人が海外へ出掛けていくことを推進した。そして1995年とうとう海外旅行者は1500万人を突破したという。
 修学旅行の実施においては、管轄省庁は学校教育であるから文部省である。確かに国内での修学旅行の実施に際しては、取り立てて他の官庁をまたがって対応することも少なかった。こと海外修学旅行に関しては海外への輸送の面で運輸省が国内以上に関わってくるだろし、事前の海外の情報収集や万が一海外の地において不幸にも事故が発生した場合には外務省がでてくることになる。そして一番の窓口として従来の文部省があるなと三つの省庁が絡み合った上での修学旅行の実施とならざるをえないのが現状だろう。
 急速な国際化の流れ、最近の円高基調、アジア志向などをみても海外修学旅行が盛んになるのもうなづける。海外修学旅行を昔のように特別視する必要はなくなってきている。 しかしその一方で一部の公立高校の中では、数年前から海外修学旅行を止めた学校も現れだした。国内修学旅行の方が自由に行動できて、実りのある旅行になるという理由からだ。
 とりわけ私立の高校と異なり、公立の高校が現実に海外修学旅行を実施する際に数々の制約があるのも事実である。公立高校が海外修学旅行の実施の増加につれて私立高校の実施にまで影響が出始めた。それは生徒募集の差別化手段であった海外修学旅行が、もはや効果的な魅力とはなりえなくなったからだ。公立私立を含めていま、あえてなぜ海外修学旅行を実施するのかを再検討してみたい。

二.「海外修学旅行ねらいと効果」
海外修学旅行のメリットというより、むしろ海外修学旅行を実施する狙いと置き換えたほうがいいかもしれない。実施に踏み切るかどうかはこのあたりの効果が期待できるかが、ポイントとなろう。

実施意義の面では、

・「国際化への対応、国際理解と国際親善」
・「異国の歴史文化への学習」
・「外国語のなどの語学習得」
・「外国の見聞から日本についての再認識する」
・「海外の同世代の仲間との交流を通じて」
・「日本文化の普及」 等があげらる。

さらに実務面でみると、
・「国内旅行の費用と比較して遜色ない」

三.「海外修学旅行への課題」
 海外修学旅行の実施が活発になるにつれて懸念事項もある。団体で実施する以上はクリアしていかなかればならない事項ではあるが、今後海外修学旅行が増加するにつれて早期に改善すべき内容である。
・「費用が高額になる」…公立高校などでは従来の国内の修学旅行と比較して割高になりかねない。全体としては確かに海外旅行は低価格化であるのだが。
・「コミュニケ-ションの問題」…異なる言語で本当の相互理解がはかれるのか。その手立ては現在のところ、伝統芸能文化の交流会程度のことしかみあたらない。
・「交流先の相手探し」…現段階では学校が自力で探したり、旅行エ-ジェント頼みの現状。これにともなう現地交流受入れ組織(学校)への負担増。校レベルの格差。
・「日本型修学旅行の押し付け」…国内で実施してきた修学旅行のやり方を海外の地においても要求するなど。現地の習慣や事情の理解が不足
・「事前学習の不足」…生徒の事前学習が不十分なため、不用意な発言、行動が現地での国際摩擦を引き起こしたり、期待した学習効果が得られない。
・「事前準備の繁雑さ」…旅券取得、海外安全情報、現地との打ち合わせなど。ほとんど旅行エ-ジェント頼みの現状でいいのか。
・「航空機の利用」…海外修学旅行を検討している学校の中には、自治体が飛行機を認めていない所もある。この場合フェリ-の利用となるわけだが、旅行期間や現地滞在時間に影響してくる。
・「安全面について」…少々辛口になるが、学校は日本と同様の安全体制を現地でも期待しすぎる。海外の事情をふまえた事前認識が不足しているのでは。


四.まとめ
 こうして海外修学旅行の実施についての是非と検討してみると、概ね次のようにいえないか。実施のメリットは海外修学旅行の内容、実施意義にあり、デメリットは実施に際しての事前準備、実施斡旋のわずらわしさなど実務面にあるのではないかと思う。実施に踏み切るかどうかの基準は、費用や安全、事前準備以上に、実施により得られる意義や成果が期待できるかということであろう。どうしても事前準備に力点を置きすぎると面倒なだけの海外修学旅行という印象だけになってしまう。費用や条件ばかりに気をとられると、現地の斡旋体制や、学習内容にしわよせがいき、修学旅行自体がお粗末な結果になりかねない。ようはバランスの問題になってくるのかもしれない。得られる成果と種々の条件との兼ね合いか。寂しいことだが最終的には世界で通用するのは「お金」という共通の構図だけが残ることになるのだ。_

2010年2月1日月曜日

『学校週五日制と特別活動』

学校週五日制と特別活動』 1995年時点で執筆。
1995年4月から月2回の公立学校において「学校週五日制」が実施された。1992年の開始当時はレジャ-、旅行業界ではこの時とばかりに、学校週五日制への土曜イベント、ツア-などいろいろな企画を打ち出していたのも記憶に新しい。「学校週五日制」については学校行事の縮小やカリキュラムの編成等の課題が報告されているが、今年3月の毎日新聞の世論調査によると、土曜休日が月二回になることに対しては「賛成52%、反対48%」(毎日新聞社4/18掲載)という結果になっている。 四月の発足した第十五回中央教育審議会においても、国際化・情報化・科学技術教育などと並んで、この学校週五日制が諮問事項として小委員会で検討されることになっている。 ここでは、多少修学旅行とは離れるが「旅行」に関して学校週五日制ではどのようなことが可能なのかを検討してみたい。

一.「家族旅行のすすめ」
 数か月に一度は家族旅行をすすめたい。せっかくの休日にわざわざ家族旅行なんてとお考えかもしれない。
 しかし、親子の関係をより深くするためにもいいのではないか。普段はコミュニケ-ションの機会が少なくなりがちな親子の絆をよりいっそう親密にすることにも役立つ。ここまで書くと現代のあるべき家族関係が相当稀薄になったと思われそうだが、親子関係の再確認にもつながるし、結構子どもが親を見直すいい機会になるかもしれない。
 例えば大金を支払っていく旅行ではなく、キャンプや自然体験を中心とした比較的安価な旅行もおすすめである。車さえあればどこだって体験フィ-ルドになる。そして一緒にするアウトドアでのキャンプやスポ-ツなど、協力しながらつくりあげていく旅行の形が最適だろう。
また。なかなか家族ででかけても宿泊施設では洋室で別々の部屋に寝泊まりすることが多い場合などは、日本旅館での宿泊がおすすめだ。同じ部屋で家族で過ごす一家団欒の時間は何ものにもかえがたい。また違った視点からみると、日本旅館には日本の伝統文化が現代に受け継がれており、その中にはおもてなしの心、礼儀作法などがある。ぜひとも子どもたちと一緒にこのおもてなしの心や旅館の“わび”“さび”を体験してみてはどうか。躾という観点からも効果があるだろう。

二.「連続休日の増加」
 祝日を金曜または月曜に移動させて連休を創出する。また祝日を増やすこと、企業に置ける休日の取得奨励も提案したい。
一年に祝日は13日あるが、何月何日のその日でないと絶対まずいという祝日を除けば、何月の第一週の何曜日と移動指定しても支障がないはず。
ここで例えば、年末年始とゴ-ルデンウイ-クを除く八日を曜日指定にして連休を創出したとすると、宿泊旅行の需要が増加し、年間二兆九六〇〇万円の内需効果が生まれるという。一人一人の力ではどうしようもないが、祝日移動による連休創出には運輸省をはじめ、旅行業界、宿泊業界関連組織等からの要望も多いと聞く。今や国内旅行は低迷のなかにあり、国内旅行の不振が観光産業全体に大きな影響を及ぼしている。国内旅行活性化には、この連続休日の創出、休日の増加による消費需要の増大が不可欠であろう。

三.「子ども旅行をする」
修学旅行でよく耳する「体験学習」を、小学生までの頃に経験していただきたい。ここで教育論を論じるわけはでないが、豊かな知恵は経験と知識のうえに成り立つとすれば、バランス感覚をそなえた人間形成には体験活動は欠かせない。子どもたちだけの自然体験旅行なんかがいいのではないかと思う。「百聞は一見に如かず」という言葉があるが、百回見聞しても一回の実体験には及ばないだろう。机上の見聞では知識は付けど知恵がつかない。大切なことは、頭で覚えた知識と同時にそれを活用する体験をすることだ。それには若いときの経験がいい。「鉄は熱いうち打て」というではないか。同じ世代の児童、生徒が集まって同じ目的に向かって協力しながら考えながら達成していくなんてめったにできないことだ。学校を越えた地域間でこんなことができうる旅行を旅行エ-ジェント、自治体受入れ組織で検討していただければと考える。今なら農業体験、エコツア-など子どもでも参加して体験できる旅行もある。