2010年2月5日金曜日

『歴史教育の新しい視点を検討してみる』


※1995年執筆



一.歴史教育の現状について

 1995年は戦後50年目の年となった。日本における終戦50年は言うに及ばず、アジアの国々でも様々な動きがあった。韓国では日本の植民地支配の遺物としての旧朝鮮総督府(現在韓国国立中央博物館)が八月取り壊された。韓国流の過去への精算である。日本の「戦後処理」について日本に居住する外国人に行った外務省の意識調査によると、65.9%が「近隣諸国の批判的があってはじめて取り組んでいる」との回答であった。さらに「批判されても結局、何も実行していない」が21.9%で、これを含めれば全体の約88%が消極的な日本の態度とみていることが分かる。
 また「国際社会で日本が既に相応の役割を果たしているかどうか」についても同様に「果たしている」が42.7%「果たしていない」が48.3%という結果になり、国際貢献はまだまだ不十分であるとの認識である。
相変わらず不容易な政治家の発言がアジアの国々の感情を逆撫でしたり、国際問題に発展することも後を絶たない。戦後50年も経った今でさえである。今回の調査でも「日本人は先の戦争の過ちを二度と繰り返さないと反省していると思うか」という問いには、「まったくそう思わない」が10.2%、「そう思わない」が26.0%、「わからない」3.9%「どちらでもないが」22.3%と、全体の62.3%が日本人は反省の色なし、またはあいまいと感じていることが分かる。
 学校での歴史学習の取り組みについては、中学校の修学旅行のねらいの二位に「歴史学習」(25.5%)があげられるなど、内容は別にしてもその人気振りをみせている。歴史学習は体験学習の一つとしてとらえられている面もあり、被爆者の講話を聞くなどの体験学習としては全体の1.7%の実施になる。

二.歴史教育の視点を検討する
今までの「平和学習」という言い方で行われてきた学習は、中学校においてはほとんどが広島と長崎の原爆投下被害を素材にしたものである。私立の学校や高校においては、沖縄の「ひめゆり」関係を素材にしたものだろう。内容は資料館や記念館の見学、目玉である語り部の方の講話の実施が大部分を占める。日本における平和学習の疑問は、いつも戦争被害者として日本国なり日本人が対象となっている点にみられる。例えば修学旅行の平和学習でご協力いただく人物は、民間の日本人の戦争体験者が大半であることに気付いただろうか。長崎・広島の被爆者の中には日本人ではない戦争被害者もいる。彼らに日本人と同様の戦争による補償が与えられているだろか。中国韓国をはじめとして、日本が行ったアジアでの戦争については一切触れていないのが特徴だ。この意味でも修学旅行での平和学習とは、日本人被害者のスタンスにたった学習であることが分かる。先の外国人の意識調査でも日本人は反省していないと認識しているのもうなづける気がする

 前半では平和学習という言い方をしたが、これから取り組むべきは「歴史学習」である。

もちろん長崎・広島での平和学習もその一つとして考える。マクロ的な歴史的視野にたった歴史学習を検討したい。戦争の発端から最終的に終結までという流れ中で、戦争に関わってきた日本なり日本人を中心に、従来の視点をかえた素材を取り上げてみたい。長崎・広島・沖縄以外でも学習素材は存在する。他の教科との連携を含めて複合的に取り組みたい。

三.「歴史学習」の新しいポイントを考える
<日本軍の細菌兵器を検証する>
 旧日本軍の細菌部隊では「ハルビン七三一部隊」「南京一六四四部隊」がよく知られている。他の戦争関連の事実と同様に全容ははっきりとされていない。最近になって部隊に所属していた元兵隊らの証言から、その事実が戦後50年たった今徐々ではあるが判明しはじめている。七三一部隊などについては、埼玉県の県立庄和高校地理歴史研究会の生徒諸君が調査しているという。悲しいことに調査を止めるよう脅迫状を郵送したことも報道された。学校では「加害者の歴史を発掘するとはこのようなことか」とショックを受けているという。現在日本にはこれら細菌部隊の事実を証明する施設等は余り見受けられないが、最近になって実際に関わった元兵隊が実名で証言するなど、事実が明らかにされつつある。もしも彼等の実話を聞けるのなら、長崎広島の語り部以上に生徒にとって実りある歴史価値の高い歴史学習となるだろう。

<日本軍の毒ガス兵器を検証する>
1995年は「地下鉄サリン事件」などで毒ガスへの関心が異常に高まった年でもあった。折しも国会ではこの春「科学兵器禁止条約」の批准が承認された。これが発効すれば歴史を遡って旧日本軍が先の戦争で中国大陸で放置した大量の毒ガス弾を10年以内に処理しなければならなくなるという。日本においても近郊の海域に大量の毒ガス弾が投棄されているという。戦後50年を経た現在も毒ガス問題は国際的にも国内的にも根本的な解決に向けての途上にある。
 ・大久野島…1929年農家を強制的に退去させ、陸軍が毒ガスの工場を建設した。1963年島全体が国民休暇村となった。宿泊や見学が可能で小学生の修学旅行で訪れるケースが多い。

<強制連行の歴史にふれる>
 日本国内において朝鮮人強制労働の事実と戦争の悲劇を物語る“負の施設”の存在が話題になった。戦時中に日本の政策により各地の炭鉱や軍需工場に送り込まれ、強制労働させられた歴史である。約100万人といわれる強制連行の実態は今だ不明な点が多い。全国各地ではこの朝鮮人の強制連行を解明しようとする動きがある。ここに一部ではあるがそれに関係のある足跡や施設を紹介する。全国的にまだまだ事実関係がはっきりしていない所も含めるとかなりの数にのぼると推測される。教育現場では若い教師に在日韓国、朝鮮人の歴史を知ってもらうための手引書「証言強制連行」が発刊されたという。

〔強制連行に関係のある所〕  ※ここに記載したのは極一部です
・阿蘇…鉄鋼石露天掘り跡、山鹿トンネル跡
・筑豊…法光寺、徳香追慕碑、弥栄公民館、日向墓地
・大牟田…馬渡り収容所跡(1994年撤去された)
・田川市…朝鮮炭鉱殉職者之碑

〔その他活動体として〕
 「全国在日朝鮮人教育研究協議会」
 「強制連行証言集政策実行委員会」事務局
 「長崎朝鮮人の人権を守る会」
 「強制連行の足跡を若者とたどる旅」事務局
 「大牟田の歴史を考える会」
 「在日韓国民主女性会」   など。


<民間人から見た戦争>
戦争下の日本で軍人に限らず、多くの女性子供を含む民間人が間接的に戦争の準備に駆り出された。1995年はこれらの“負の歴史遺産”が戦後50年を契機に注目され出した。
 例えば特攻隊を通して戦争の悲惨さを伝える鹿児島知覧、万世(現加世田市)においては、1995年また一つ“戦争の証人”施設、特攻宿舎「飛鳥荘」が消滅した。東京都においては、軍需工場や慰霊碑、基地など戦争に関する歴史遺産をまとめた写真集も発行された。一部を紹介すると、市ヶ谷駐屯地、靖国神社、調布飛行場、東大和市の日立航空機の給水塔と変電所、府中市の掩体壕などである。こうした民間人から見た戦争遺物を通して歴史学習を考えてみるのも一案かと考える。見学素材は不幸にも全国に散在している。数え上げればキリがないほどだ。修学旅行で訪れた地域のどこかに該当する民間人の関わった“負の歴史遺産”があるはず。是非とも修学旅行の行程中に含めていただきたいと思う。

<ハンセン病と沖縄での戦争について>
沖縄における歴史学習の違った視点として検討してみてはどうかと思う。
・「国立療養所 沖縄愛楽園」
 「沖縄愛楽園」をご存じだろうか。沖縄愛楽園については、94年7月にTVの番組『ザ・スクープ』でも特集が組まれたことがある。20万人もの命が失われた沖縄戦で一人の医師の適切な判断が900名以上のハンセン病患者をアメリカ軍の猛攻撃から守ったという秘話がある。この事実はほとんど知られていない。ハンセン病(らい)。最近テレビや新聞の『らい予防法』廃止報道で、話題になることが多くなったが、過去には伝染病であり治療が不可能であるという人々の誤った認識から、患者の隔離や社会的偏見の対象となった不幸な時期がある。現在もこの過去に隔離された療養所は全国に存在している。沖縄における歴史学習の一つとして、視点を変えて歴史的事実を直視してみてはどうだろう。またハンセン病患者と戦争という視点であるが、歴史教育というより人権学習といったほうが的確かもしれない。
・「沖縄記録フィルム一フィート運動の会」
戦後50年がたったいま、戦争の記録を残そうと活動を続けている組織がある。「こどもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会」、通称「沖縄記録フィルム一フィート運動の会」である。会長は中宗根政善氏、93年に設立10周年を迎えた。「沖縄戦を負の遺産ととらえ、その遺訓に学ぶ必要がある」とのアピールのもと精力的な活動で歴史を現在に伝える。活動内容は定番となったセミナーで語り部の方々のお話、平和ガイドと一緒に戦跡を見学することなどである。事前学習には積極的に取り組みたい。ここでは会の活動自体に注目したい。この活動に至った経緯や現在の活動内容、活動への参加など見る歴史学習から参加する歴史学習への転換も検討したい。もちろんお邪魔をしない程度にである。 

訪問したい組織候補…「沖縄ネットワーク

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