2013年6月16日日曜日

世良修蔵暗殺事件

『八重の桜』では思い切り悪役でしたね。殺されて当然みたいな極悪人面のキャスティングも考えていますね。
戊辰戦争においては同年3月、会津藩征伐のために総督・九条道孝以下570名と共に派遣された。仙台藩米沢藩らによる会津救済嘆願があったが、あくまで武力討伐せよという強硬姿勢を貫いたことから、次第に仙台藩士らから穏便な会津処置の障害と見られるようになった。さらに福島城下の金沢屋に宿泊した修蔵が当時新庄にいた下参謀・大山宛てに閏4月19日6月9日)に記した密書(「奥羽を皆敵と見て、武力をもって一挙に討伐する」と書かれていた)を送付の依頼を受けた福島藩士を通じて入手した仙台藩士は修蔵の暗殺実行を決意(閏4月14日6月4日)には仙台藩家老但木土佐らの承認を受けていた)。閏4月20日6月10日)未明、仙台藩士・瀬上主膳姉歯武之進、福島藩士・鈴木六太郎目明かし浅草屋宇一郎ら十余名に襲われる。2階から飛び降りた際に瀕死の重傷を負った上で捕縛された修蔵は、同日、阿武隈川河原で斬首された。修蔵の死をきっかけとして、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍との戦争が始まる事になる。
また福島城下・金沢屋について遊郭妓楼などと記した文献が散見されるが、実際には旅籠であり、これは城下町における町割りから明らかである。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%89%AF%E4%BF%AE%E8%94%B5

0 件のコメント:

コメントを投稿