2011年7月21日木曜日

宇治茶では外せない「永谷宗円」

宇治茶の里を訪問する機会があった。永谷宗円の生家を見学した。ところで、みなさんこの方をご存知でしょうか? 永谷 宗円(ながたに そうえん、延宝9年2月8日(1681年3月27日) - 安永7年5月17日(1778年6月11日))は、山城国宇治田原郷湯屋谷村(現・京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷)の農家。「青製煎茶製法」を発明したとされ、煎茶の普及に大きな功績を残したと伝承されている。末裔である永谷家や、取引相手である山本家(山本山)によって後年記された文献では、「宗円の功績」が次のように語られている。中国から日本にもたらされた茶は、南宋に渡った栄西が『喫茶養生記』で茶の効能を説いたように、当初は寺院での修行や薬用として飲用されていた。やがて各地で栽培が広がるが、宇治の特定の茶師は、幕府の許可を得て高品質の碾茶の製造を独占していた。富裕層が好んだ抹茶とは違い、庶民は色が赤黒く味も粗末な「煎じ茶」を飲んでいた。そんな中、宗円は15年の歳月をかけて製茶法を研究し、味もすぐれた緑の新しい煎茶(正確には「だし茶」である)を作り上げた。この宗円が発明した「青製煎茶製法」はその後の日本緑茶の主流となる製法となった。

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